おりづる大会ひろしま

昨夜、エントリした「視覚障害ランナー、世界へ」で思い出されたと記したとおり、11年前、僕が障害者スポーツに足を踏み入れ、この競技に入り込む契機となったのが全国身障者スポーツ大会(通称「おりづる大会」)であった。

取っておいた当時のフロッピーディスクからテキストを探し出せたので、今回、掲載。以下は、当時の職場で大会後に慰労会を開催してもらえたときの報告ベースメモであり、また、別に団体機関誌にも掲載した原稿である。

いわゆる、ひとつの転機となった大会出場

おりづる大会5000m
1日目・5000m

10月26、27日に広島市で開催された全国身体障害者スポーツ大会(おりづる大会広島)に参加してきました。山口県からは視覚障害者2名、聴覚障害者4名等を含む総勢13人の選手団でした。

大会出場選手を決める選考記録会が5月にあった後、3回にわたって合宿・強化練習も行われました。身障者国体は、通常の国体と違って障害者が広く参加できるようにとの配慮から、個人競技は一生に一度しか参加できません(*)。最初の合宿の夜には、前年のうつくしま福島大会のビデオを観て、すばらしい大会であることに皆、感動させられました。一度きりのチャンスを後悔しないよう練習に励もうと決意したわけです。

* この後、出場回数制限はなくなった。

僕自身走ることは好きで、年中いろんな大会で走っていますが、自分でもこれほど気持ちを高めたまま熱心に取り組んだことはありません。同い年の有森祐子がアトランタオリンピックで熱走したことにも影響を受けて、大会間近になると、気持ちは宮島の紅葉以上にメラメラと燃えていました。

ビッグアーチで疾走

おりづる大会5000m
まだ20代、飛び跳ねながら走っていた

会場は広島広域公園競技場(ビッグアーチ)で、一昨年のアジア大会にあわせて建設されたすばらしい競技場です。開会式では皇太子殿下・雅子妃も見えられました。こういった中で走ることは後にも先にもこれ一度きりでしょうし、僕にとってはまさに人生最高の晴れ舞台でした。

1日目の5000mは競技の遅れでナイター照明の中の競技となったこともいい思い出です。走りながら、スタンドにある巨大なスクリーンに映し出される自分の姿が見えもしました。この5000mは2位をも1周抜く独走だったのですが、2日目の1500mは最後のコーナーを廻ったところで2位に追い抜かれ、残り100mを熾烈なデッドヒートで争い、胸の差でかわしたゴールとなりました。

「一生に一度なんだから負けるわけにはいかない」との気持ちがこのときの僕を支え、これまで張りつめ続けていた気持ちがここで発揮できました。こうして、2種目とも金メダルを獲得できましたが、練習の成果が実ったことが何より嬉しく満足できました。

障害者同士、かけがえのない交流

おりづる大会5000m
1500m、ラストは沸かせました

競技が終われば同じ障害者同士。一緒に走った選手と健闘をたたえあい、交流もできました。大会を支える多数のスタッフ・ボランティアのそれこそいたれりつくせりの手厚いもてなしもよかったし、後夜祭はすごいパワーとなりました。

こうして滞在した一週間は今思い出すと夢の中の出来事のようです。県選手団とは特に、若く陽気な聾学校生徒3名と大いに笑い、語り合い、他の障害者ともコミュニケーションは難しいながらも楽しめました。また、選手団とともにコーチや視察員として随行していた学校教員、福祉事務所職員らとも年齢が同じくらいということもあって親しくなれました。多くの人とふれあうことのできた期間でした。

とりわけ今回良かったのは、普段は交流のない他の障害者と一緒だったことです。聴覚障害者なら県内、そして全国と仲間も増えてきた僕ですが、肢体、視覚、精神といった他の障害者の苦労を一緒に生活することで実感できました。聴覚障害のことばかり考えていた自分に大いに考えさせられる契機となりました。

本当に楽しく、よい思い出となったこのおりづる大会は、今後の自分にとって大きな財産になりそうです。

最後に、出発前には激励の言葉を、そしてまた帰ってからはお祝いの言葉をいただけた方々に、この場を借りてお礼申し上げます。



 

  Related Entries


Message

メールアドレスが公開されることはありません。