五月雨/市選手権

ダメ元で1500mに申し込んでいたが、

いわゆる会期中、というやつで、やはりDNS。

土曜13時20分スタートなので、もしかすると間に合うかも・・とクルマにユニフォームとレースシューズ(と体調管理チェックシート・笑)を準備していたが、淡い期待に終わる。

市選は確か7年前に出たのが最後(だと思う)。当時は、今日の日本選手権、田中選手のように2種目出場(5000m+1500m)でも十分走れていたが、ちょうど、それ以降からくらいから、走るに走れず、の理由が仕事絡みになってきて、ここ数年は防府読売や東京マラソンなども同じパターン。

タイミングが合うのを辛抱強く待つこの頃。(退職後?)

5000m記録会

新年度

昨年のエントリで今後1年におののいていたとおり、昨年も改めてハードな年(度)だったが、今年度もさらにまた。。(一体いつまで)

休日も含めて数年来、走れる環境にない中、今日は競技役員も、だったので睡眠確保どころかさらに1時間早起き、合間出場なのでアップは1kmのみ、3月は月間185km(=嘆く、というより、結構走ったな! と思える)の中、それでも昨年も書いたように、出場そのものが体力づくりとしての挑戦。

結果、17.18.85と昨年よりさらに30秒近くタイムは落とす。仕事に限度がないように、走力低下にも底はない? ようだが、ケガ無く、出場できるタイミングがあればまた走ってみたい。



今日(4月2日)は世界自閉症啓発デー

海響マラソン無事完走

年度最初で最後

記録 2時間58分08秒(1.25.47-1.32.21)

練習できてない&睡眠とれてない中では十分過ぎる大満足の結果。練習できる環境にならない限りサブ3は相当至難(レースエントリもなかなか)…で、もう最後かものつもりで20数キロ以上は1年間未知の距離、終盤失速して抜かれまくりながらも、結果的には前半不安なくらいペース上がってしまった貯金が生きてくれた。

海響は44歳時の10年前から出場し始めて、なぜかサブ3の回数は33歳で初出場した防府よりも多い(ことに4ヶ月前くらいに気付かされ)。応援や大会運営の良さに加え、起伏と変化のあるコース、昨年の防府でも寒くて身体が冷え込んだ自分の体質的に温かいうちの開催その他…が自分にはいいみたいだ。

ただもちろん今回は相当無謀で甘い挑戦だったので、ダメージも大きく、Sブロック更衣所入口の階段1段目で激しく左ふくらはぎが痙攣してしまい、次いで右足は脛の前と横が吊り、さらに腰も内転筋も連鎖して…で5分以上動けなかった(*_*) ランナー次々帰ってくる中、練習していないとこうなる見本のような、情け無いことしきり( ´Д`)

あと今回は久々レースでしばらくぶりに会えた方がたくさんでしたが、5、6年前くらいから? お互いがそれぞれに相手の話をきいていて(笑)、という方がいて話しかけていただけました。年もほとんど同じで走り始めたのはだいぶ遅いながら今はもう全くかなわず、ですが、いい励みになります。

そんなこんな快晴だった一日、往復道中は3日の松田聖子三昧の録音聴きながら、でドライブも楽しみ。年度内のレースは、防府も再々延期された3月の東京も仕事ほかで出場は難しいので予定なし。ひとまず記録が残せて本当に良かった。

好天の一日

道下美里選手ゴールドポスト

ナイター

幻想

3月の駅伝に向けていた5kmT.Tで16.42の好タイムが出せていたので、今シーズンは16.30を切りたいと目論んでいたが、4月の記録会が16.56、そして今回は

17.13.84 と落ちる方はいとも簡単で、認識の甘さを思い知らされた。

5月は220km、6月は294kmと、今の環境の中では精一杯頑張っているが、大半ジョグでポイントはここ2週のトラック練習のみ、では堪えられなかった。

それでも汗の噴き出るレースの苦しさは日常生活にない高揚感をもたらしてくれて、走れるのは有り難い限り。役員の皆様に感謝。

帰って見た夕食時のTVでは、56歳の松本伊代が「まだ、16だから~♪」を歌っていた。自分もまだ最低16分にはこだわっていきたい。

記録会 5000m

ここ数年

レース出場少なく、トラックからも遠のいていたが、最近また身体が動くようになってきた(タイムは落ちるが)ので、久々に出てみようと出場。

ただ、朝は週の、というか、令和2年度の一年の疲労重く、命懸けで起きる(笑)=本当。

結果、疲れもあって動きはぱっとせず、3月に練習で走っていた5kmT.Tや先々週の駅伝8.6kmよりペースは遅く、5000m 16.56.74。

出走後、仕事に出向くつもりだったが、疲労重く断念。その分、来週の夜が連日遅くなる・・、冷静に考えると、(レースには出ず)朝は身体を休めて仕事に出向いた方が・・なのだが、どこかしら変化はないと。

今年度も、充分きついここ数年以上のハードワークになりそうだが、記録を狙うのは無理でも、時々は大会にチャレンジしたい。

自閉症啓発デー(4月2日)ブルーライトアップ

読売駅伝

夜勤合間に

当初はこの土日が夜勤ということで諦めていたが、今年はコロナの影響もあり前泊をしないということで、ゴールに近い区間なら駆けつけられそう、と3年ぶり出場(最終区間の8区 8.6km)。

・・の前に、まず土曜は仕事で下関に出向く。暖かくなると移動だけでも疲れが出るようで帰宅後に少し仮眠。幸いだったのは、今回の夜勤、これまでに比べると負担が小さくなっていたこと。

これまで自分は大晦日元旦、それに1月中旬と当番に当たってきたが、前回入った日がちょうど感染の最大のピークだった日で(=年越しに続けての引きの強さ・・(汗))、当時はだいぶ慌ただしかったが、その頃に比べると今は落ち着いてくれていた。

そのおかげもあってか、結果的には体も充分動いてくれた。レースの方は、当初から覚悟していたとおり、繰り上げスタートにはなってしまったが、今回、意外だったのは数チームはあるだろうと思っていた繰り上げがわずか2チームだったこと。

その1チームがとても速くて、1キロいかない時点で簡単に100メートル以上の差を付けられてしまうような、繰上選手とさえ大差のついたダントツ(×2乗)の最下位になってしまった。覚悟していとはいえ、2、3キロで背中が見えなくなるくらいで、よほど自分が走れていない、やはり足が動いていないのかと不安にさせられた。

自分の時計は例によりラップもとれないし、ガーミンでもないのでベースの分からない中、それでも中間点通過は悪くない(14.40)。直線コースでありながらもう前走者の全く見えない中、後半も感覚としては頑張れている感じの、残り1km表示地点でその正しかったことを確認して、想定タイムよりかはいい結果(29.05(3.23/km))となってくれた。

この駅伝は、萩-長門-美祢-山口の中山間地を抜ける全区間通じてアップダウンのある難しいコース。自分の走った最終区間に限っては、幹線の国道まで1km弱がなだらかな下り坂、かつ、そこからはほぼ平たんだが、それを差し引いてもタイムは上々(自分には)だし、手元時計では、逆に前後半差が△15秒のネガティブになるなど、最近の練習もそうなように、年をとると下り坂でもスピードに乗れない? 分、後半の方が頑張れたよう。

ちなみに、繰り上げを走ることになったもう1人の選手というのが同じく2部グループの、また、同一市のBチームながら1部2部計11チーム中最高タイムかつ区間新のキロ3分で走るような選手で、どおりで速かったわけだと後で納得。

あと、この駅伝は、郡市対抗ということで、普段は一緒になることの少ない中・高・大学生、それに社会人とでチーム編成しているのが楽しい大会。前回、出場した3年前も萩で(いい宿に)前泊したり、区間移動の車中で楽しく大学生や高校生らと交流できたのがいい想い出として残っている。

・・に比べると今回はだいぶ限られて、自分の場合は前日集合にも出れず、かつアンカーということもあり、同じ区間を走ったAチーム選手とだけのわずかな時間ではあったけれども、この大学生が自分と同じ高校出身、大学も同じ地、卒業後の就職先も自分の今の仕事でつきあいの深い関係先だったり・・等々とおかげで話も弾んだ。

今回、10個以上の区間新に優勝チームの大会新という好記録連発だったのは、箱根やびわ湖もそうで、やはりみんなもコロナの影響で大会に渇望していたところがあったろうと思う。自分もまたコロナの前から走る機会が減っていた中、久々にレースを、また、チーム出場で楽しさの増す駅伝を堪能することができた。夜勤の×2で土曜から3日風呂に入れず睡魔の強く襲う時間もあったけれど心地よい疲れ。

大半(というか、ほぼ全員)がナイキシューズの中、自分(ともう一人の部員)は少数派の非ナイキシューズ(自分は3年前のターサージール)で今回走ったが、Nikeだったらどうだったのか? は、はてさて。相変わらずあまり練習ができてなく、今月もまだ100km少しと練習量は少ないが、少ないからケガもなくていい感じなのか、足も悪くはなさそうなので、4月以降の記録会にも出てみようかと思っている。