トランスアメリカ

自由の国の周囲

トランスアメリカ

アメリカという国は自由を象徴する国で、それゆえに本来の規範から外れたものが寛容に認められやすい、また、一部で積極的に規範から外れていこうという強い志向を持っている国なのだろうと思う。

今では世界的にもさして珍しいことではない性同一性障害、性転換・・・について、本家(?)のアメリカがそれを主題とした映画にするのも今更、ではある。けれども、この映画は、オンナになりたいオトコの周囲で、ふと、家族のあり方をも考えさせてくれる。自由ゆえのアメリカという国の深さ、悩みというものを再考させてくれる出来上がりになっている。

主演女優の絶妙な演技

主役は、男であることに違和感を持ち、肉体的にも女性になることを望んでいる、"最後"の手術を目前にした男。

この難しい役どころに挑んだ主演は、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、ゴールデン・グローブ賞ドラマ部門主演女優賞を受賞した。主演"女"優? そう、演じているのは女優さん。「女」になりたい「男」を「演じて」いる女優。考えるだけで頭が混乱してくる。

実は僕は、観終えても、いわれるまで主演は男だと信じ切っていた。この映画の面白いようだということをききつつ、予備知識を仕入れていかなかったからだが、未だに信じられない。性転換手術を経ても、どうしても前のオトコ性が垣間見えてしまうケースの方が世には多く、たいていバレてしまうものだが、その「いかにも」なズレが見事に出ている。男が演じたのなら不自然さはないが、まさか女性が演じていたとは・・・。絶句するほどの絶妙な演技である。

コメディーというほど、あからさまに笑いを誘うものではない。ゲラゲラ腹を抱えての笑いではなく、クスクスと、笑ってはいけないけれど笑わずにいられない・・・、のしのび笑いを誘ってしまう。主人公の「彼女」ブリーの前には悔しくて涙がでるような現実が立ちはだかる。けれども、懸命に生きている彼女の姿をいつの間にか、応援している自分に気付く。健気である。かわいらしい。・・・といって、これが並の男よりもはるかにデカい女、というのが、この映画のよくできたところである。

アメリカなるものを超えて

タイトルも絶妙である。NYからLAへの横断中、まさに"アメリカを横切る"旅。端から端へ、アメリカを横切りながら、男から女へ、息子とともに、母親と父親の間を揺れながらの旅である。

一昨日のNHK「英語でしゃべらナイト」で、藤田朋子がハル・ベリーを相手のインタビュー中、「英語には(あいまいさを多く抱える日本語にはない)強さがあるのが羨ましい」といっていた。

僕も英語が好きで、学習意欲というほどではないにせよ時々、チャンネルを変えている途中でこの番組にとめる。ただ、ハングル語講座もそうだが、NHK総合も教育もこの手の語学番組に聴覚障害者用の字幕はない。確かにタイトルからそうであるように、「会話」=「話す」ことと「聞く」ことがメインゆえに、そもそも聴覚障害者は最初からターゲットから外れているのかもしれないが、もう少し、キャプションが増えてくれるといいのだが・・・(でも、それでは聴者には勉強にならないからつかないんだろうね)。

超(越)えて、横切って、貫いて、別の状態へ変わって・・・。確かに、transという接頭語、接頭辞がつくとそれだけで意味の類推できる英語という言語。 この映画が、ひとつ性転換(transsexualism)にとどまらず、Transamericaとした、アメリカという国家もかつての強国、大国からじわり、姿を変えていこうとしている、映画が正面から国家を視野に入れているほどのスケールはないが、タイトルからはそう邪推できうる意図もまた、面白い。


満足度:★★★★
2005年アメリカ
2006/09/03 KBCシネマにて鑑賞


 

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