チルソクの夏 3

タテかヨコか

前々回掲載の画像を見てもらうとわかるが、洋画の字幕や、邦画でも配給会社が字幕挿入を認めてくれる字幕プリントの場合と違って、今回のような特別製作の字幕上映の場合、字幕はスクリーンの右側にタテに表示される。

これについて、やはり、普段のように画面下にヨコに表示される方が読みやすい、という意見も出た。これはもっともで異論のないことである。人間の目は横長に付いているので、横書きの方が一度に多くの情報をつかめる。目の移動も少なくて済むから疲れない(それでなくとも普段から目を酷使している聴覚障害者には、字幕を目で追うだけでもかなり、疲れるものである)。画面右側の表示だと、どうしても視線というか、顔自体が右側に向いてしまうので、首も疲れる。英語(ローマ字)を表記しようとする時、縦書きでは苦しい。縦書きができること自体、日本語の利点でもあり、それでこうした問題が出てくることになるのだが。

字幕制作者の側も好きでタテ字幕を表示しているのではなく、映画と字幕が別々の場合、どうしてもスクリーンの余部に映し出さざるを得ないからの、これもやむを得ない選択である。劇場にしろホールにしろ、たいてい、スクリーンは横(左右)には余裕があるが、縦(上下)にはあまり、余裕がない。スクリーンの下に映し出そうとすると、後ろの席からは見えにくい、というせいもある、との説明がなされた。

聾者の立場で観て、今のタテの方法でも不都合はないが、ヨコにできるに越したことはない。スクリーンの余部に映し出すのではなく、洋画がそうであるように、画面下部にかぶせて下側に表示する方法。この場合、背景の色と字幕の色が同系色だと読みづらくなってしまう不便があるが、最近のTV字幕がそうであるように、色を付けた背景ごと、プロジェクターで投影する方法もあろう。例えば、こんな具合(背景色と文字色の組み合わせは色々考えられる)

もっとも、普通の映画字幕やテレビの字幕は、製作の段階で画面にはめ込める(番組の製作者側でコントロールできる)か、外部で字幕を別に作る場合も、少なくともテレビ放映の前に流し込めるものである。それに対して、今回のように自主的に上映する場合は、画面にプロジェクター等を利用して外からスクリーンに直接、投影することになるので、光の加減や色調の調整が難しいだろうか。

いずれにせよ、一部であるにせよ、かぶせる部分の画面の情報が消えてしまうことを覚悟の上で。

字幕があるかないか

これらの技術的な問題以上に、一番、厄介なのは著作権の問題。画面情報が消えてしまうのも、勝手に音楽を言葉に替えられてしまうのも「許さん!」といわれるとそれまでである。映画の制作者の側からすれば、全身全霊を傾けて作り上げた映画(映像も音楽も総て引っくるめて)に対して、外部の側から勝手に別の情報を付け加えられては困る、というのは確かにあるだろう。制作者の意図を尊重しようとすれば、何も手を付けられない。それでも、「字幕が付けば観ることのできる人達が世の中にはいる」「少しでもその道が拡がるなら」と思ってもらえるかどうか。

前々回も書いたが、佐々部監督作品の「半落ち」、今回の「チルソクの夏」、「四日間の奇蹟」には字幕プリント版での上映がない。前2作にはDVDへの字幕挿入もない。来週17日から上映される、3部作完結編「カーテンコール」はどうなるのだろうか。タイトルが想像させるように、音楽の比重が高いからこれも日本語字幕は避けられることになるのか。

字幕の付く邦画とそうでないもの。どういう基準によるものなのか、それぞれのケースであろうけれど、例えば、山田洋次監督作品には「学校」シリーズなど、割と以前から、字幕がよく付いた。聴覚障害者向けに字幕プリントでの上映会の機会があった。

「鉄道員(ぽっぽや)」、「ホタル」という高倉健主演の映画がある。 これは、降旗康男監督の作品だが、この「鉄道員(ぽっぽや)」も「ホタル」も字幕上映の機会が全国であった。特に「鉄道員(ぽっぽや)」は、僕には、自分の親父の姿が重ねられて(もちろん、健さんほどかっこよくないが同じ昭和一桁生まれ、1歳違いの男の生き方として)号泣させられた、忘れられない一本である。監督の許可が全てではないのだろうが、聾者の立場では、こうして字幕の付く作品をつくってくれる嬉しい監督と思う。実は、「鉄道員(ぽっぽや)」と「ホタル」は、他でもない佐々部さんが助監督を務めている名作である。佐々部さんの監督作品にも、日本語字幕が付くようになってほしいと願う。

優先順位

それから、映画字幕に限らず、広く、聴覚障害者向けの情報提供のあり方についても話題が振られた。一例として、自治体の作成する災害対策ビデオに「予算がない」、あるいはここでも著作権の問題等で字幕の付けられな状況が説明された。

予算の制約はいずこでもあることで、聴覚障害者が全てではない、ということにもある程度、納得せざるを得ない。一方で、それでもやはり、生命にかかわる災害対策、危機管理については、近年、最重要課題の分野である。とりわけ聴覚障害者は、正確な情報を得られないがゆえに災害等の非常事態に弱い。地震や台風で携帯が使えないだけでうろたえる、電話(通信)できないことのコトの重大性は聴者にも分かってもらえるだろう。

予算も限られているし、さらに、限られた予算内には優先順位というものがある。災害、選挙関係は、優先順位の高いものであろうが、逆に、映画のような娯楽は、優先順位でいえば最後のものになるだろう。優先順位だけなら、映画やTV番組の字幕はなくなってしまってもおかしくない。

けれども、そこが、人間の性(さが)というもので、僕たちは優先順位だけで生きているわけでない。戦前、戦中、戦後の極悪な社会情勢の中にあっても映画はつくられていた。求めている人がいた。先の見えない暮らしの中でも、映画は、他で得られないカタルシスを人々に与えていた。満足な食事が得られなくても、衛生状態が悪くても、本来、それらに比べて優先順位の低いはずの映画を、人は好んで見続けてきた。映画は文化として人々の暮らしの中に入り込んでいる。

今後も邦画の全てに日本語字幕の付くことは難しかろうし、また、音楽の問題はいかんともしがたいだろうが、それでも、観ることのできるチャンスがあるならば、その機会に感謝して、これからもいい映画に出会いたいものだと思う。


 

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