チルソクの夏 2

字幕意見交換会

上映に引き続き、日本語字幕に対する意見交換会が行われた。鑑賞後は誰しも、それなりの気分に浸っている、主人公に我が身を重ねたまま酔いしれているはずで、一転、意見交換会という現実に引き戻されるのも少々、味気ないとは思うが、こういう機会も滅多にないこと。非常に有意義な時間だった。50分程度の短い時間で、かつ、そう多くない人数だったが、全部の意見を出し切れないほど、意見はいくつもあった。

僕も、言いそびれた(というより到底、言い切れない)ことも含めて、以下に述べてみると。

映画音楽

前回、少し、触れた音楽の多用について。

音楽のない映画はない、と、ほぼ言い切れるだろう。どんな映画でも音楽が重要な構成を成している。音楽の方が映像よりも人の心をつかみやすい。映画ではたいてい、ハイライト、胸を打つシーンの「ここぞ」というときほど、セリフに代わって音楽が流れる。映画の内容は忘れても、耳にしたメロディーは一生、忘れられない、というケースが多いはず。

この作品でも最初から最後まで、くどいくらいに音楽が流れていた。「くどい」と感じるのは、今回は聴覚障害者向けの字幕ゆえ、「今、音楽が流れている」という説明がなされるためである。これが洋画なら、バックに音楽が流れている場面で、わざわざ、その説明はなされない。これまでにも何度か述べているが、これが、(聴者も必要とする)洋画への字幕と聴覚障害者向け字幕との大きな違いである。

逆に、それゆえ、聴者にも考えてもらえるきっかけになった。岸さんもその点、述べられた。今回、音楽が流れている多くのシーンで、「♪(音楽)♪」という字幕が付いた。これをただ、「音楽」だけでなく、どんな音楽なのか、少し、説明があったらどうだろうか、という意見。これに対して、字幕の制作側からは「最初の上映では付けたが、その際、付けないでほしい、との意見があったから」ということであった。

確かに僕も「♪(音楽)♪」という場面では、「どんな音楽なのだろう」と考えていた。そういうシーンはたいてい、静かで動きがない。他に考えることがないから、余計に気になるせいもある。そして、同時に、「説明があった方がいい」という意見も出てこようし、一方で、今回は「あえて説明しない」ことを選んだのだろう理由も観ながら既に分かっていた。音楽は受け手の受け止め方次第である。「今はこんな音楽だ」とは決めつけられない、言い切れない。形容詞で修飾するのが難しい。言葉で表現しえないものが音楽である。

最初の上映で出された「どんな音楽だという説明は付けない方がいい」という声は、聴者の側から出たものではないかと思う。聴者なら、耳にする音楽と、表示された言葉とを、目と耳で同時に比べて判断できるが、きこえない者には判断の仕様がない。説明しない事を選んだ理由も納得できる一方で、やはり、聾者には、「♪(音楽)♪」とされるよりかは、多少でも説明があった方が、変に考えないで済む分、いいかもしれない。繰り返しになるが、言葉で表現できない音楽を、どう言い表すのか、どこまでも難しい選択になるだろうが。

あるいは、TVドラマで挿入されるように「♪~」くらいでとどめる方がいいだろうか。「音楽」という「言葉」としてストレートに表示するよりも、視覚的な「記号」としての音符「♪」だけで置き換える方が、ふさわしいように思える。どちらも同じ、と一笑に付されるかもしれないが、受け止め方はだいぶ違う。

映画と音楽の関係

字幕意見交換会
字幕意見交換会

こう書いてゆくうち、僕は、「♪(音楽)♪」とされても、「♪~」でも、どうせ、分からないなら、いっそ、なくてもいいんじゃないか、とさえ思えてきた。視覚情報に置き換えべきる代替手段のない音楽について、普段の日常生活で、街で、戸外で、建物の中で、そもそも音楽をきいていない、音楽なしで生きているのが聾者なのだから。聾者がクラシックのコンサートに出かけてゆくことはないし、ステージの端でその内容が通訳されることも、ちょっと考えにくい。

決して、聾者の立場をないがしろにする、というわけではないが、映画の中でも、音楽部分にとりたてて字幕での説明は入れない、という方法も考えられる。これも一つの意見だろう。説明を入れるか、どう説明するか、あるいは全く説明しないか、このあたりは、聾者でも、どれがいい方法か、場面によっても考えは分かれるところだろう。

それから、今回、「♪(音楽)♪」とされなかった部分、ボーカルのある歌なら、歌詞を字幕で流せる。ただ、これも歌詞はどこまでも歌詞(言葉)であって、音楽ではない。繰り返された「なごり雪」も「横須賀ストーリー」も、歌詞だけ表示されても、音楽の伝えようとするニュアンスは、きこえない者には届かない。音楽というのは、最初からきこえない者は相手にしていない。きこえることを前提とする音楽を、きこえない者に伝える、説明することは、どうしても無理が、限界がある。

まあ、歌詞だけでも、それはそれで味わいはあるものだが。

一緒にいても心だけ

ひとり勝手に旅立つ人

私はいつも置いてきぼり

あなたに今日は聞きたいのです

これっきり これっきり もうこれっきりですか

これっきり これっきり もうこれっきりですか

そう言いながら今日も私は

波のように抱かれるのでしょう

ここは横須賀

冒頭に記したように、音楽のない映画はない。音楽の比重が高くなるほど、字幕があっても(邦画でも洋画でも)、映画の意図する感動から聾者は遠ざけられてしまう。

他の聾者はどういう思いで受け止めているのだろう。

こう考えると、音楽という手段を使わずに、言葉だけで人の心を動かす小説や詩といった文学の凄い力というものをあらためて思う。もちろん、限界はあっても、不完全でも、僕は映画が好きで、今後も観るだろう(寝てしまうこともしょっちゅうだが)。


岸信夫さんを囲んで
字幕上映と意見交換会後、岸信夫さんを囲んで

字幕付き「チルソクの夏」|参議院議員岸信夫さんのブログ


<余録>
山口県防府市と姉妹都市の韓国・春川市との間で、この映画同様に、日韓の中高生らの親善交流を目的として行われていた交歓陸上大会について吉報。今年3月、島根県の制定した「竹島の日」をめぐり、全国的にも日韓姉妹都市間での交流事業を一方的に延期、打ち切られる事態が広がっていたが、このたび、韓国側の申し出で再開されることになったという(7月26日付各紙報道)。


 

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