ウェブ進化論 1

梅田望夫(2006年刊 ちくま新書)

2007.01.02読了 01.07メモ

ネット社会の未来を知る指針の書

2006年刊ちくま新書

あとがきで著者が「五週間、厖大な集中の時間を充てて、ふらふらになった」と述べているとおり、中身のすこぶる濃い一冊である。「魂を揺さぶられる」というのは大袈裟であるが、今、ネットの世界がどうなっているのか(何が起きているのか? 何が起こってきたのか?)が平易に記されていて、それでいながらインパクトは大きい。

一年前(昨年2月)に刊行されるやすぐに話題になった春先に購入していたものの、例によってずっと読めずにいたが、まとまった正月休みを利用してようやく読了。単にベストセラーになったという限りにとどまらず、経済書としても昨年を代表する一冊、というのがうなずける。手軽さや入門性を売りとするはずの新書の範疇を大きく超えている。読む方もぐったりする。自分なりに咀嚼しながら読んでいると、数時間、二、三日ではとてもではないが読み切れない。本書の終章近くで、著者の個人的具体的な記述が出てくるが、それがなければ、新書にとどまらず、きちんとした学術書として将来的にも残る、評価される一冊ではなかったか。

ただ著者は、そんな権威性よりも速く広く、この内容を知らせたかった、知ってもらいたかったのだと思う。経済分野のみならず、社会学的にも、今後の社会を考える時、指針の書と言えそうである。

グーグル賛歌

著者の総力が込められているだろうだけに、広く、かつ深い内容で、全編大いに示唆を得るところの非常に大きな内容なのだが、記述に大きく力の割かれている、そして本書を貫く軸となっているのはグーグルの桁外れのすごさ、偉大さ、についてである。第二章「グーグル──知の世界を再編する」の中でも「世界中の情報を整理し尽くす」という構想の大きさ(ミッションの深さ)等に驚愕させられた著者が、「グーグルの何が凄いのかほとんどの人がよくわからない」説明の難しさに挑戦している。

僕自身、検索エンジンとしてのグーグルは割と早くから利用していながらも「グーグル、そんなにすごいか?」と思っていた一人である。本書でも触れられる、よく対比されるヤフーは全く使わず、グーグルの登場した結構、初期の頃から使っていた。ヤフーが手動によるカテゴリー、ディレクトリ型の登録だった頃、被リンク数の多さで機械的にページの重要度を決めるグーグルの画期的な革新性が驚かれ、飛躍的に支持されるようになったと思う。グーグルツールバーは実際、便利だったし(でもその後のグーグルデスクトップは評判ほど使えなかった)、僕もそういうものかと半分、納得はしていた(実際、ディレクトリ型当時のヤフーは今ひとつ使えなかった)。

けれども、一方では「リンクされている数が全てではなかろう」という思いが非常に強かった。被リンク数でいえば、公的なサイト、いわゆるオフィシャルサイトや権威あるサイト、また、個人レベルまで下がっていえば「リンクしてして!」と積極的に営業をかけるページが有利になってくる。でも、他からリンクなど全くされていない個人的なページにも非常に得難い貴重な情報のあるページは少なくない。僕が検索エンジンで知りたいのは、公的で手堅いサイト(やニュース類なんてのは一つ知れば充分で)、むしろ、そういったニッチでマイナーな情報でありながら有為な情報をこつこつと、細々とでも発信しているページである。

これはまあ、使い方にもよろうけれど。

その後、ヤフーも検索エンジンにグーグルを採用した。ポータルサイトが他社の検索エンジンを採用するなんて、ホンダがトヨタのエンジンを搭載するようなもので、まさに敵の軍門に下ったようなもの。グーグルの優秀さが確かに裏付けられたのだが、しばらくして、僕が「グーグル、この頃、変だよ」と思ったのが二年くらい前だったろうか。その頃までグーグルで検索して思う結果が得られなかったら、次善の策としてヤフーを利用していたのだが、上記で述べたように、ほしい情報をすくい上げてくれるのがヤフーの方に多くなったのである。グーグルの検索結果はどうも鮮度が低いように思えた。ヤフーが独自のロボット型検索プログラムを開発して秋から導入したのだ、と後に知ったときには大いにうなずけた。

ヤフーはどちらかというと初心者向け、グーグルはよりエリート向け、というのは僕も実際、周囲を見ていてもその通りと思う。でも、おかしいな、と感じた、自分の検索エンジンに対する感度というのが結構、いい線いってるじゃないか、と、はたと手を打ったものである。裏付けるように、半年以上前の記事になるが、米国ではグーグルが圧倒しているのに対し、日本ではヤフーが圧倒的な強さを誇り(2006/07/19日経「ヤフーどこまで強いか」)、かつ、さらに勢いを強めてグーグルとの差を一層、広げているのだという(2006/05/09日経「グーグル、日本では苦戦」)。

本書にもヤフーとグーグルの比較について言及されている。「決定的な違い」は「人間の介在」を回避する(=グーグル)か、積極的に利用する(=ヤフー)かにあるという。これもなるほど、と非常に面白く理解できた。グーグルが「人間の介在」なしに自動的に事を成してゆくシステムを目指しているのに対し、ヤフーがサーファーと呼ばれる社員によって日々、サイトを人力でチェックしている、それゆえに機械的には見落とされる良質のサイトがヤフーでは拾い上げられる、すくい取っているのだな、と思える点について、あくまで今現在の(検索エンジンが日々、基準を変えていることは重々、承知している(させられている)ので明日はどうなるか分からない)僕は、グーグルの凄さを認めつつも、ヤフーを利用(支持)している。

ネット社会を肯定的積極的な姿勢で

もちろん、こうした点など、ウェブの世界ではごくごく小さな範囲といえるもの。検索エンジンなんてグーグルだろうがヤフーだろうがmsnだろうが、大差ないといってしまえばそれまで。あくまで本書の姿勢はグーグルの凄さについて一貫している、僕もそれを再認識させられたのだが、とにかく示唆を得るところの大きな本である。

ネット社会と呼ばれる現代、インターネットの普及、ウェブの進化により社会が良くも悪くも大きく変化してゆく時、その変化を自覚し、意識的にこの大きな変化を生き抜くための書であると思う。とかくインターネットの普及やネットの世界については、匿名性、凶暴性、犯罪性・・・等々の負の側面が強調されがちである。それは、社会の変化に対応することを躊躇する保守的、守旧的思考を展開する際には大いに役立つ自己弁護にもなってくれる。もちろん、それも正しい。ネット万能、になることは絶対にない。

けれども、良くも悪くも今は、正負の側面を見分ける能力を身に付け、積極的肯定的に無限の可能性を信じて新たな社会の枠組みを個々人がウェブの世界を利用しつつ、築いてゆく時代だろう。

続けて読んだ(というより、これを読みたくて、まずは前提条件として本書を読み終えねばと重い腰を上げさせられた次第なのだが)、作家の平野啓一郎氏との対談『ウェブ人間論』(新潮新書)がさらにまた、一層、面白い。

満足度:★★★★

たしかに「44歳の私」は、10年前、「34歳だった私」に比べて、圧倒的にモノが見えている。いろいろな経験を積んだ。たくさんの人を見てきた。でもモノが見えている分だけ、新しいこと、未経験なことについて、ネガティブに判断するようになってはいないだろうか。これを「老い」と言うのではないのか。

放置すれば人は、年を取るにつれてどんどん保守的になっていく。私も、意識的に「若さ」と「勢い」を取り戻さなければいけないなぁ。


 

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