心に残る「内なる記録」

後藤正治(2013年2月17日付け日経新聞)

2013/02/17読了、2013/02/17メモ

這うようにプールから上がった

昨日の職場の駅伝のエントリを書いていたところに、記録が持つドラマというか、人それぞれにドラマのあることを感じていたら、今日の日経でも心を動かされたのでメモ。

日曜紙面に連載される後藤正治氏の「ひと言の余韻」連載16回目。ノンフィクション作家による各界方面人物の一瞬のエピソードを紹介する、とてもいいコーナーで、毎週、とても楽しみにさせられている。

後藤氏の著作は「マラソンランナー」として本棚にも収録有り。

今回の良さは、かつて、また僕もエントリしている、非常に感動した海老沢泰久氏の「走る理由」にも似た、何とも言い難い余韻を味わわせてくれる点が共通する。

全文、書き写してもいいくらいだが、ざっと要約し、最後、長いが引用すると──

平泳ぎという種目は何年か一度、飛び抜けた選手が現れる(そうだよね、それをあえてもう名指さないところがこのエッセイ)。1970年代後半に期待の星だったのが高橋繁浩氏。

17歳、招待レースのカリフォルニア・サンタクララのレースで200M、2分17秒81という年度世界最高記録(かつ日本記録)で優勝。怪童と呼ばれ、歴代でも最高の素材といわれたが大学進学後は低迷。当時のルールで後頭部が水没し失格とされるためで、それを修正しようと全身のバランスが崩れてしまい、やがて快活な若者は無口なスイマーとなっていってしまった。

日本不参加のモスクワ五輪は候補にも選ばれず。ロス五輪で「最後のオリンピック」を体験して引退したが、やがて迫ってきたソウル五輪で日本の平泳ぎ陣は手薄だった。ルール改正もされ、水没は問題でなくなっていた。

「もう一度やってみないか」そう、コーチにけしかけられた。

ソウル五輪の半年前になって高橋は現役に復帰する。27歳。もう猛練習はできない。練習量は往時の半分以下。それでも練習が楽しい。「不思議な感触の日々」だった。


1988年9月。ソウル五輪200メートル予選7組。ゴールした高橋は振り向き、電光掲示板を見た。上から四番目。決勝進出は駄目だ。まず、落胆がきた。それから数字を見た。2・17・69。


日本人たちが座る観客席から拍手が起きていた。大声で叫んでいる人もいた。何に興奮しているのかがわかった。高橋はやや照れながら小さく左手を上げた。十年前、自身が樹立した日本記録を破っていたのである。


両腕が強張って震えている。這うようにしてプールから上がった。サンタクララではもうワンレースでも泳げると思ったが、もういけない。もう数メートルだって泳げない。腕の震えが、疲労困憊からきたものか、あるいは別のものからなのか、わからなかった──。


0.12秒の記録更新。ソウルでの優勝タイムは2分13秒台。高橋の記録は世界水準から見れば意味はない。けれども彼にとってはこれ以上ない贈り物だった。苦い、悩み続けた過去を、懐かしさを込めて振り返る思い出にしてくれたのだから。


記録には二つの意味系がある。ひとつは世の価値基準としてあるもの。もうひとつは、彼にとって、彼女にとって、自分自身にとって意味するもの。永く残るものは後者の<内なる記録>である。それは広く、他の事柄につていも当てはまることだろう。

ソウル五輪の競泳というと、まず何といっても鈴木大地。彼とは同い年になる僕も大学在学中、寮の部屋に居てきいた君が代と日の丸には熱狂させられた。

今になって知る、こんなところにも別のドラマがあったんだね。そして今の自分はそんなドラマの方に心動かされる年になっている。


 

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