嘘つきアーニャの真っ赤な真実

米原万里(2004年刊 角川文庫)

2005.03.12読了 03.13メモ

東欧を舞台とする貴重な作品

2004年刊角川文庫

著者は1960年代前半、プラハでソビエト学校に通っていた稀有な経験の持ち主。

本書は当時の同級生3人の思い出を語ると同時に、30年を経て3人のそれぞれとの再会を果たすまでを描いたノンフィクションである。

著者のおかげで僕らは当時の東欧の事情について知ることができる。僕ら(他者を巻き込まずに僕、というべきだろうが)は、東欧についてほとんど何も知らない(無頓着に東欧と一括りにするが、著者からすれば、中・東欧らしい)。

島国日本にいると、平和ぼけというか、中東欧地域にみられる国家間の緊張関係に疎い。自国や他国、また民族という意識に無感覚になってしまっている。かつて共通一次世代、5教科7科目の試験科目として世界史と地理をそれなりに勉強したはずの僕だが、この地域の政治体制やら歴史やらを全く知らないことが情けないし恥ずかしいと思う。

この地域は、国名からして、僕たちが十代の頃に学んだ知識が通用しないことも多い。

僕は今年1月、デフリンピックで世界各国の聾者とふれあう機会をもつことができたのだが、そのときも「自分の知らない国が多いなあ」ということを痛感させられた。やはり、この中・東欧地域の国の選手らについてである。旧ロシア各国がそうであるように、かつては地域名や民族名を表していた固有名詞が国名になっている。

各国選手はそれぞれに国名の入ったジャージ(ジャケット)を羽織っているのだが、国名ぐらい分かりそうに思えて、「一体どこなんだろう?」と思う国が二、三ではなかった。Czech Republic でどこの国かお分かりだろうか? 答えは、この物語の舞台のプラハを首都とするチェコ共和国。ちなみに、以前はチェコスロバキアといったが、スロバキア共和国と袂を分かって10年以上を経ている。

「Czech ってどこなんだろう?」と仲間と話していて、僕は、旅行用にいつも携帯している『三省堂英和和英ハンディ辞書』を取り出してまず調べる・・・のではなく、このときは辞書で調べるのも面白くないから、まずは直接きいてみた。この辞書には巻末の扉が世界地図になっている点も非常に便利で、「(あなた達の国は)どこ?」ときいてみたのだ。もちろん、それで地図を指さされても、中東欧の地理自体がおぼつかないのだから分からない。

次に調べてようやく Czech がチェコ共和国だと納得できたのだが、それでも「そうか、チェコかぁ」で本来、終わってはいけないのである。「チェコか・・・」、「日本か・・・」で、お互いが認識できたら、そこから会話ができないといけないのだが、この時点でチェコのことを僕は何も知らなかった。「プラハの春」くらいなら聞き覚えがあるのだが、まさかそんな政治的事件のことについて突然、話題にするわけにもゆかない。相手の国の、最低限の歴史や文化を知らないというのは、恥ずかしいものであると知った。

人生にからむ祖国、民族

いうまでもなく「プラハの春」事件は、本書に出てくる同級生達の人生の大きな転換点(の序章)となった。その後、東側陣営諸国が崩壊へとなだれ込んでゆく中で、3人の同級生らの人生も、それぞれ激動の政治に翻弄されてゆく。 同じ学校で学びながら、クラスメートらはそれぞれが祖国、民族を背負っていたのだが、こうした中で学び、育った人間の国家観、民族意識を本書は問うている。

ソビエト学校で学ぶ生徒は皆、故郷を離れているからこそ、人一倍、自分の国家を強く意識する。祖国を誇りに思い、強く愛している。愛国思想が醸成される。国家、民族、イデオロギーを離れての存在はあり得ないことを証明する。人はそれぞれ、生まれついてくる国家から逃れられないという問題を突きつけてくる。

一方で、単一民族の僕らは国家を意識することが少ない。とりわけ、民族意識というものから縁遠い。僕らは自分の人生が、日本という国家や政治によって左右されるものだとは思っていないだけに、本書から受ける衝撃は大きい。

かつて祖国愛を公言していた3人の同級生は、しかし、今では祖国の地に帰らないことを選択し、また、あえて戦禍の祖国にふみとどまることを選択している。そこに至るまでの同級生らのそれぞれの祖国意識、国家観、民族意識の変化を本書は明らかにしてゆくのだが、自身の国家的アイデンティティを確立させて生きているヤスミンカと、特権階級の恩恵を浴びながら窮状の祖国を簡単に捨てて保身を図っている、そして、そのことに無感覚でいられるアーニャに対比を際立たせている。

3編中、第2編のアーニャの物語が表題作に使用されたのは、リッツァ、ヤスミンカを追った、それぞれ第1編、第3編と異なり、アーニャの体現している自己欺瞞が、国家観の問題をストレートに表出しているからであろう。

東と西の事情

ソビエト学校には共産主義圏域の国々の子弟が集まっていたということだだが、東側陣営が、たとえ共産系の家族であるにせよ、西側の一国である日本をも受け入れていた度量に感心する。懐が大きいものだなと感じられた。日本の情報を入手するのに便利だ、というたくらみもあったのだろうか。

作中で、子ども達でさえ背負っている国によって、立場の微妙に変化することを感じざるを得ないことが書かれている。今回は、3人の同級生を通して国籍、国家、民族といったアイデンティティをあぶりだしている、著者は当事者でいて観察者に徹しているのだが、著者の日本という国に対する思いがどういうものであったのかも知りたかった。

特に、周囲の他国と違って、西側の一員である日本人という立場は、それだけで独特なものだったはずである。チェコが「東」の盟主ソビエトの衛星国なら、日本は「西」の盟主アメリカの属国とみなされるくらいだったわけで、東にとっては、敵の最たる国だったのではないか。西側の一員である日本という国を祖国に持ちながら、共産圏の学校で囲まれて過ごした著者の思い、著者自らのアイデンティティの確立に及ぼした影響はいかなるものだったろう。

ちなみに、著者は父親が共産党の幹部だったことから、この稀有な経験が本書に結び付いた。もちろん、共産党員の子弟であれば無制限にソビエト学校に入学できたわけでもなかろう。著者は本書では積極的には触れていないが、本書の主人公達でいえば、リッツアの父親が大使、アーニャの父親が超特権階級、また、ヤスミンカの父が後にルーマニアの最後の大統領になったことからも想像が付くように、ソビエト学校で学べたのは、各国の相当に裕福な家庭の子弟、幹部養成校さながらの、トップ中のトップの幹部子弟限定の学校だったはずである。

そうした場にいること自体、共産主義が本来、目指したはずの万人の平等とは裏腹に、一握りの幹部クラスの家族だけの「特権」であったのではないか。ひとりアーニャにとどまらず、当時でも不自由ない生活を送れていた、特権を享受できていたことについて、著者も遅かれ早かれ、気付いたはずである。アーニャと対照的にリッツア、ヤスミンカ、著者のその後の生き方は見事であると感嘆すると同時に、そのあたりの心情も知りたかった気がする。

学校生活の描写も傑作

それはともかく、歴史や地理の何と勉強不足であることを思い知らされた。無知であるがゆえに、知らないことを初めて知る面白さで引き込まれた。

例えば、第1編「リッツアの夢見た青空」のギリシャ。昨年のアテネオリンピックで世界中の関心を集めたが、ギリシャといったら、古代ギリシャの歴史や神話しか思い浮かばない。きっと世界中の多くの人も似たようなものだと思うのだが、多くの人の頭にギリシャという国家が古代のままでストップしているのは、ある意味では幸運なのかもしれないが、やはり少し哀しいことだろうと思う。ギリシャがつい最近まで軍政であったとか、社会主義政権と民主主義政権が交代していたとか、知らないことばかりである。

第2編のルーマニア。アーニャの父親はチャウシェスク政権の側近だったのだが、偽名を使わざるを得なかった事情の真実や、政権崩壊の事実も語られていて興味深い。第3編のユーゴスラビアは、今ではセルビア・モンテネグロという国名になっている。この旧ユーゴでいえば、首都ベオグラードであるとか、ボスニア・ヘルツェゴビナであるとか、NATOによる空爆だとか・・・きいたことがある、といった地名や国名、歴史的事件は多い。でも、それはあくまでも断片的な知識でしかない。完結していない。

プラハの春やチャウシェスク政権の崩壊等を含め、事件名だけは知っていても、当時のニュースの記憶だけはあっても、その歴史的背景、政治的事情、宗教的事情・・・について何も知らないことをつくづく思い知る。きれいごとのようだが、もっと近現代史を勉強しないといけない、今、地球上の国の他国のことを最低限は知っておきたい、これからは関心を持って知っておきたいと思った。

もっとも、東欧の地で50カ国以上の国から集まったクラスメートらと過ごす話だけに、描かれている状況は極めて特異なのだが、とはいえ、誰しもが同じように経験する学齢期の少年少女の学校生活である。50カ国以上の国の子ども達が集まっていることを除けば、誰もが同じように経験する、よくある学校時代のエピソードが微笑ましい。学齢期ならではの、少女ならではのみずみずしい感受性とあふれる好奇心を抱えた子ども達の授業中のやりとりや少女らの友情の発露が生き生きと語られる。

周囲がものものしい状況であっても、学校の中では、多感な年頃の、性への好奇心、異性への憧れ・・・といった事柄がユーモアを交えて描かれていて非常に楽しく読める。リッツア、アーニャ、ヤスミンカ。名前だけで充分に個性的で可愛らしい。読者は皆、一読、この3人の少女を身近に感じることができるだろう。学校生活を描いた部分だけでも本書の面白さは格別である。

「リッツァの夢見た青空」、表題作となった「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」、「白い都のヤスミンカ」。タイトルの付け方からして抜群にいい。

満足度:★★★★★


このときのナショナリズム体験は、私に教えてくれた。異国、異文化、異邦人に接したとき、人は自己を自己たらしめ、他者と隔てるすべてのものを確認しようと躍起になる。自分に連なる祖先、文化を育んだ自然条件、その他諸々のものに突然親近感を抱く。これは食欲や性欲に並ぶような、一種の自己保全本能、自己肯定本能のようなものではないだろうか。

・・・

自国と自民族を誇りに思わないような者は、人間としては最低の屑と認識されていたような気がする。


 

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