海の仙人

絲山秋子(2004年刊 新潮社)

2007/06/24読了、2007/06/24メモ

「そんな詩みたいな暮らしがしてみたい」

2004年刊新潮社

「沖で待つ」、「袋小路の男」とともに図書館で借りていた3冊。前2冊を読み終えて最後に読み始めたが、最初の数頁で「ファンタジー」なる神様の登場という設定に入り込んで行けず、しばらく放っておいた。

雨の日曜となった今日、逆風満帆を昨日、記したついでにもう一度、読んでみようと腰を据えたら、第二節から俄然、面白くなって一気に読み終えた。

絲山作品はまだ単行本化された4冊を読んだだけだが、『イッツ・オンリー・トーク』収録中の「第七障害」を抜いて、マイ・ランキングベストに躍り出た。

これまでの他の作品と違い、一冊読み切りの長編。それゆえに最初の回転がやや鈍いように感じたのだが、その分、登場人物やストーリーにも幅があって、ふんだんに筆が尽くされている感じで、小説らしい醍醐味を味わえる。

前半はいつもの絲山節が影を潜めて、絵に描いたような眩しく幸せな青春恋愛ドラマが拡がる。「ああ、著者も人の子、女の子だなあ」と安心できて、心地よい進行に身をうずめることができる。

水の中ではずむような自分の呼気の音を聞きながら、河野は心の底から喜びが湧いてくるのを察した。それは彼が長いこと感じていなかった喜びだった。

胸の中で数えていた八年という数がすっと口をついて出た

けれども、この作品が小説たりえている、文学なのはその後に思いもかけぬストーリーが待っているから。

なじみの絲山節が復活し、でもいつものように視線が温かくて、特に本作は後半のせつなさが心をとらえる。ホロリとさせる。琴線を振るわせて涙を誘う。ちょっと『ノルウェイの森』か『世界の中心で愛を叫ぶ』、ついでに『解夏』にも通じるところがないでもない。

かりんは、策に溺れるということがなかった。彼女はいつも同じコースに柔らかいカーブの球を投げてきた。河野が見逃しても動揺することはなかった。腹が据わっているのだ。河野は打つ気もないのにバッターボックスに入ってひたすらフォアボールになるのを待っているバッターだった。

片桐は違っていた。彼女は気持ちを隠そうとはしなかった、ストライクゾーンを一杯に使って直球を投げてきた。

なんだか頼りないような、狡いような男の心理を語らせるシーンでは、漱石の多くの作品も思い起こさせる。

ただ、女性が語る分だからだろうか、自然で違和感がない。十代、二十代の若さが背負わない哀しみを描くところもいい。

例により、会社をともにした同期愛も健在。しかも単一でなく複線化しているところも面白い。

満足度:★★★★★

「だけんね、結婚していようが、子供がいようが、孫がいようが、孤独はずっと付きまとう。ばってん何かの集団、会社にしても宗教にしても政党にしてもNGOにしても属しとったら、安易な帰属感は得られるっちゃろうね」

「いや」片桐が言った。

「孤独ってえのがそもそも、心の輪郭なんじゃないかい? 外との関係じゃなくて自分のあり方だよ。背負っていかなくちゃいけない最低限の荷物だよ。例えばあたしだ。あたしは一人だ。それに気がついてるだけマシだ」



 

  Related Entries


Message

メールアドレスが公開されることはありません。