海辺のカフカ

2つの物語、『世界の終わりと・・・』

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』同様、現実と非現実の、2つの世界で繰り広げられるストーリーが交互進行しながらクロスしてゆく手法。それぞれが別の物語を挟んでいるので、各章それ自体の物語としての独立性、完結性が高い。テレビの連続ドラマや新聞小説のように、各章の分量も均一で、章のひとつひとつがきっちりと終わる小世界になっている。読者にも一定期間ごとに息を整えさせ、落ち着かせて向かい合うことを要求してくるような。

『世界の終わりと・・・』は、春樹ファンの中でも支持のかなり高い作品のはず。僕自身、この『世界の終わりと・・・』をしのぐものはないと思う。今、奥付を見てみると初版が1985年6月15日。僕が大学に入学した年。18歳のときから18年経っていること、そして、著者春樹氏がこれを書き上げたのがまた、36歳だということにも(今の僕の年齢)、あらためてすごいものだな、と驚かされる。

本書でホシノくんがレンタカーを借りるシーン。『世界の・・・』で世界の終わりを間近に控えてトヨタ・カリーナを借りようとする主人公とレンタカー店員との洒落た会話、そしてボブ・ディランの出てくるシーンを思い出す。あの作品の中で最高に素敵な(それはそのまま、春樹の作品の中でも最高に素敵な)描写だった。本書も今度はマツダ・ファミリアに変えてユーモラスなシーンを登場させているが、柳の下の二匹目のドジョウ的でちょっと残念に思える。

『世界の・・・』のみならず、春樹作品との類似性を喚起させるシーンは、例を挙げればきりがない。カフカ少年にとっての佐伯さんとさくらさんの関係は、『ノルウェイの森』における直子とみどりのようでもある。直子─佐伯さんに連なる病的でミステリアスな女性に主人公が溺れ、踏み入れるべきでない世界に身を蝕んでゆくのに対し、みどり─さくらさんに連なる現実的で明るく強い女性が現実の世界に引き戻そうとする。この図式が好みなのか、いわゆる「あちら側」と「こちら側」。

大江健三郎氏は新作の中に、必ず自身の旧作を織り込むようにして書き上げてゆくのだそうで春樹も意識しているのだろうか。

ナカタさんへの愛情

15歳のカフカ少年の二度と戻らない旅と、戦時中、原因不明の症状でその後の知的能力の獲得がうまくゆかなかったナカタさんの喪失の物語。

ナカタさんの描き方が面白い。これまでになかった登場人物。一般的に言うなら「知的障害者」ということになるのだろうけれど、こうした社会的弱者が著者の作品の中で(準)主役になることも初めてでは。著者の意図がどこにあったのか?

この物語は、「図書館」をキーワードにしている一方で、ナカタさんを字の読めない設定にしている、字の読めないまま図書館を訪れさせているところが面白い。小説家に最も遠い存在、あぶれてしまう存在のはずのナカタさんがいて物語が成り立つのだという点に、著者の視線のやさしさというか、春樹の成熟を感じ取れるように思う。

満足度:★★★★

僕らはみんな大事なものをうしないつづける。大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。掃除をしたり、空気を入れ換えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる。

村上春樹(2002年刊 新潮社)

2003.2.11読了 3.18メモ

新潮社

 

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