海辺のカフカ

村上春樹(2002年刊 新潮社)

2003.2.11読了 3.18メモ

待ちかねた新作

新潮社

説明を要しない、ここニ十年、時代のトップを走り続ける春樹の新作。刊行されるやあっという間にあらゆるマスメディアで書評が、論評が繰り広げられる。 春樹の作品は、一年に一度だけ解禁される、時間と手間をかけて作られたワインのようなものだ。待ちかねた美味をすぐに味わうも良し、とりあえずキープして、じっくりと時間をかけてゆっくりと読み進めることを愉しむのもいい。

2つの物語、『世界の終わりと・・・』

誰もが気付くように『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』同様、現実と非現実の、2つの世界で繰り広げられるストーリーが交互進行しながらクロスしてゆく手法をとっている。それぞれが別の物語を挟んでいるわけであるから、おのずと各章それ自体の物語としての独立性、完結性が高い。テレビの連続ドラマや新聞小説のように、各章の分量も均一で、続けて読ませるのではなく、章のひとつひとつがきっちりと終わる小世界をつくりあげている。読者にも一定期間ごとに息を整えさせ、落ち着かせて向かい合うことを要求してくるようでもある。

僕自身の読書嗜好も高校時代から複数の作品を並行して読むのが好きだったから、この手法は大歓迎である。著者にはできればこの後、さらに3つ4つのプロットを同時進行させるような大きな、壮大な物語を書いてもらえればとさえ思う。

『世界の終わりと・・・』は、春樹ファンの中できっと最も支持されている作品だろう。今ではもう、著者にとって「初期」の作品の部類になってしまう、そして、その後に出る作品もいつも期待を裏切らないものであり続けているけれども、やはり、この『世界の終わりと・・・』をしのぐものはないと僕は思っている。今、奥付を見てみると初版が1985年6月15日。僕が大学に入学した年だ。18歳のときから18年経っていること、そして、著者春樹氏がこれを書き上げたのがまた、36歳だということにも(今の僕の年齢だ)、あらためてすごいものだな、と驚かされる。

本書でホシノくんがレンタカーを借りるシーン。『世界の終わりと・・・』で世界の終わりを間近に控えてトヨタ・カリーナを借りようとする主人公とレンタカー店員との洒落た会話、そしてボブ・ディランの出てくるシーンを誰もが思い出したろう。あの作品の中で最高に素敵な(それはそのまま、春樹の作品の中でも最高に素敵な)描写であった。

おそらく春樹も気に入っているにちがいない、本書にも今度はマツダ・ファミリアに変えてユーモラスなシーンを登場させている。ただ、柳の下の二匹目のドジョウを狙ったようにとられてしまいかねない意味では、ちょっと残念に思える。

また、もちろんながら『世界の終わりと・・・』のみならず、春樹の他の作品との類似性を喚起させるシーンは、例を挙げればきりがない。本書でカフカ少年にとっての佐伯さんとさくらさんの関係は、『ノルウェイの森』における直子とみどりのようでもある。直子──佐伯さんに連なる病的でミステリアスな女性に主人公が溺れ、踏み入れるべきでない世界に身を蝕んでゆくのに対し、みどり──さくらさんに連なる現実的で明るく強い女性が現実の世界に引き戻そうとする。この図式が好みなのではないかと思えてくる。いわゆる「あちら側」と「こちら側」。

大江健三郎氏は新作の中に、必ず自身の旧作を織り込むようにして書き上げてゆくのだという。春樹も意識しているのだろうか。そうであるなら、ファンとしてはなお、読む楽しさが拡がってくる。

ナカタさんへの愛情

15歳のカフカ少年の二度と戻らない旅と、戦時中、原因不明の症状でその後の知的能力の獲得がうまくゆかなかったナカタさんの喪失の物語。

ナカタさんの描き方が面白い。これまでにはなかった登場人物だ。「チジさんからホジョをいただいている」と繰り返し述べるナカタさんへの惜しみない愛情が注がれている。そしてまた、読書もホシノくんになってこの、不思議な旅に同伴したいと思わせる。一般的に言うなら「知的障害者」ということになるのだろうけれど、こうした社会的弱者が著者の作品の中で(準)主役になることも初めてだ。イノセントな人物によって切り開かれてゆく仕掛けとしたストーリーの、著者の意図がどこにあったのか?

この物語では、カフカ少年が身を潜め、佐伯さんや大島さんと出会う場所として、また、大島さんとの知的過ぎるほどの会話で、そして世界を知ろうとするに充分な蔵書に囲まれている場所として「図書館」をキーワードにしている。その一方で、ナカタさんを字の読めない設定にしている、字の読めないまま図書館を訪れさせているところが面白い。

いうまでもなく小説家は文字を、言葉を読んでもらうことが職業であるから、職業作家として生きてゆく上で、小説家として世間に、人々に訴える意味で、ナカタさんのような人物は結果的に対象とはならない。最も遠い存在、あぶれてしまう存在のはずである。それをあえて引き出したところに、字の読めないナカタさんがいて物語が成り立つのだという点に、著者の視線のやさしさというか、春樹の成熟を感じ取れるように思う。また、やさしさと同時に、ナカタさんのような生き方への憧れもあったろうか。

魅力的な登場人物

こうした具合に本書は実に魅力的な登場人物で埋められている。カフカ少年、大島さん、佐伯さん、さくらさん、ナカタさん、ホシノ青年・・・、と誰一人として無駄な人物がいない、完成度の極めて高い小説だ。

主人公のカフカという名前がいい。この名前のもたらす幻想的なイメージによって、この小説がミステリアスに展開してゆくことに大きく貢献している。実際にフランツ・カフカの作品を読んでみたくもなる。また、佐伯さん同様、少し病的な陰を残す大島さんというキャラクターが、おそらく春樹作品の読者の好む人物で、春樹ファンの期待を充分に満たしてくれている。

カフカ少年と大島さんとの会話はあまりにも専門的、知的で、15歳の少年の言葉としては洗練され過ぎている。ちょっと不自然で、違和感を感じないでもない。初めて少年を主人公に設定した作品で、著者の行き過ぎた自己満足になってしまっていると思える点が、今ひとつこの小説の世界に入り込めない原因にもなっているけれど、それはそれで著者の意図するところでもあったろう。当たり前の15歳の少年では逆に小説にはならなかったろうし。

物語の冒頭、戦時中に山梨県で起こった、ナカタさんの人生を変えさせることとなったミステリアスな出来事の解決を読者に示さぬまま、宙ぶらりんの状態で最後まで話を進めてゆくところも実にうまくできている。フィクションメーカーとしての設定の素晴らしさを感じさせられる。小説家として成長し続けている点がさすがだ。『ノルウェイの森』が悲痛な、哀しみに向かって真っ直ぐに進みつづけてゆくような一方的なストーリーであったのに対し、今回は、ナカタさんや猫やホシノくんを織り交ぜることで緩衝されている面にもそれはうかがえる。

満足度:★★★★

僕らはみんな大事なものをうしないつづける。大事な機会や可能性や、取り返しのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。でも僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。そして僕らは自分の心の正確なありかを知るために、その部屋のための検索カードをつくりつづけなくてはならない。掃除をしたり、空気を入れ換えたり、花の水をかえたりすることも必要だ。言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる。


 

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