超「超」整理法 2

野口悠紀雄(2008年刊 講談社)

2008/11/12 読了、2008/11/15メモ

整理とブログ~分類でなくタグ付け

2008年刊講談社

もう一点、「整理するな」という点についてブログ絡みの気付き。

著者は一貫してフォルダ型整理、分類型整理の欠点を述べている。実際に誰もが遭遇していることで、ある情報がAというカテゴリにもBというカテゴリにも属することはざらである。唯一絶対の分類はなく、ゆえに「分類する」のでなく、ひたすら「並べよ」、あとは検索に任せればいいのだ、と。固定的なラベルや画一的なフォルダは自由な発想の敵である。Gmailでいう「ラベル」、ブログやVistaでも取り入れられた「タグ」をいくつも付ければいい。

これはまさしくブログが実践していることである。かつてのホームページと違って、ブログは日記形式でひたすら記事を並べてゆく。一応、カテゴリでの分類も用意されているけれど、分かっている人ほどカテゴリ分類は利用せずに、ただただ重ねてゆく。その代わり、内容を特徴付ける「タグ」を残してゆく。あとはタグクラウドなりタグをキーにした検索でカテゴリ分類の作用を機能させてやればいい、という考え方で。

タグによる分類、誘導が便利

例えば僕のこのサイトでいうと、ボストン旅行記は、その名の通り「旅行記」という顔をメインに持つ一方で、初の海外マラソンとなったボストンマラソンの「完走記」を兼ねており、かつ、異国の地で、またツアーの中で考えさせられた、きこえない自分の「SILENT WORLD」面、もちろんランニングにまつわる「エトセトラ」・・・等々。多面的な要素を持っている(がゆえに、今後もこれ以上はないだろう、このサイトのBestである)。

ところが、僕のこのサイトはホームページ性を強く残した(ブログらしくない)作りを志向しているから、ある記事は基本的にどこかのカテゴリにのみ分類させている。複数のカテゴリに属させること自体は問題なくできるけれど、ややこしくなるので僕自身はそうしていない。トピックパス(パンくずリスト)通りの寸分違わずにフォルダ型の分類で構成されている。この点、自分自身いつも悩ましいところで、時に別記事にしてリンクするなど苦渋の処理が必要になってくる。

カテゴリ分類にこだわる理由

ただ自分が確信的にそうしているのは、やはり、ブログ全盛の時代といって全てホームページに取って代わったわけでない、今もホームページの有用性は当然にある、MT4がブログ記事とは別の「ウェブページ」という概念を採用したように、分類されていた方がごく自然に(素直に)分かりやすいと僕は思うから。

自分だけのデータ、知的生産作業(=それが本書の、著者の主眼である)なら、「分類せず並べよ」が正しい。でも、サイト(ブログ)は他人(ひと)に見てもらう点も(あるいはその方が)大きいから、検索エンジンから最初で最後、一期一会の読者がやって来た時にも、このサイトの全体の構成というのを素早く理解してもらえるように、という意識(願い)が強い。それでこうした作りになっている。

サイト内検索を用意しても、そこにキーワードを打ち込む(打ち込める)人は少ない。著者のいうとおり、情報を「引き出す」のは案外、面倒で力の要る作業だ。他人の趣味のサイトでそこまでする(検索する)人はなおさら少ない。普通は、与えられたカタログを見せられてやっと選ぶことができる。レストランでこちらからシェフに事細かい注文を出すのでなく、与えられた(限定された)メニューから選ぶのが普通(楽)であるように。

今後の課題~いかに適切なタグを付けるか

一方で僕も他人のブログを見ている時、適切にタグ付けられたブログで同じ範疇の記事を次々に読んでゆける利点は強く実感している。

読み終わった最後にリンク付けられたタグが付いていると、ついクリックしてみようかという気になる。同じようなのに「関連エントリ」もあるけれど、より、タグによる一覧(リスト)提供の方がユーザーに非常に便利。検索せずに済むから本当に楽で便利だ。この点はカテゴリ分類より強い誘導力を持っていると思う。

今のカテゴリ分類を維持しつつ、僕も今後、タグ付けを取り入れてみたい。ただ問題は記事ごとにいかに適切なタグを付けるか? タイトルを何にするか? だけで苦労しているのに・・・。頻出する単語を自動的にタグにすることもできるらしいけれど、やはり、人間の手でどれだけうまいタグを付けられるかどうか。それが今後の情報整理力、情報提供力を決める大きな要素になるのだろう。

情報共有の場面では

同じように、こと仕事面でもそう。著者のような学者職、教授職といった個人の知的生産ならともかく、仕事は必ず組織でするものだから、情報(データ)の共有はどうしてもネットワーク上に置くフォルダ型分類にならざるを得ない。かつ、組織は動く(異動がある)ものであるから、前任者が何も「分類せず」に「ひたすら時系列に」データを残していったら、それも大いに困る。

もちろん著者の(本書の)提唱はあくまで個人レベルの知的生産で、組織で行う仕事のことではなかろうけれど、実際、個人でさえ難しいフォルダ型分類の、組織の、複数の人間の、ルール無く勝手気まま、思い付くままに粗製濫造された無数のフォルダの使いにくさ、どこにデータがあるのか分かりにくいことは──そこまで本書の守備範囲でないけれど──何とかしたいものである。次はそのあたりをターゲットにしてもらえると面白いのだが。

「内容で分類しない」という「超」整理法の発想は・・・正確に言えば、「あるファイルにはいくつものラベルを貼ることができるのだから、唯一絶対の分類はない」ということである。

固定的なフォルダや画一的なラベルこそ、自由な発想の敵である。世界が大きく変化するとき、そのような硬直的思考こそ、われわれが本来持つ可能性を葬り去るものだ。

満足度:★★★


 

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 comment
  1. みっちー より:

    私は超超整理法は読んでいませんが、「超整理法」にはかなり影響を受けていますねー。
    紙媒体の資料もですが、特にパソコンを利用しているデータの管理もこの本を読んでいなかったらと思うと確かにぞっとします。

  2. より:

    (またまたコメント投稿の不備があってすみません。一応、直しました)
    「超」整理法はインパクト、効用ともに強力ですね。
    得るものが多く、何度も読み返しているのですが、またまた読み返してみたくなりました。
    このホームページもブログも野口氏のいう
    「(不完全でも)まずやってみる」
    「やってゆくうちに次第に蓄積されるノウハウが大事」
    というのに随分、後押しされています。
    (コメント周りの不備が続くいいわけにはならないですが・・・)

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