超「超」整理法 1

野口悠紀雄(2008年刊 講談社)

2008/11/12 読了、2008/11/15メモ

これまでに比べると今ひとつ

2008年刊講談社

ベストセラー「「超」整理法」を読んで以来、ファンになった著者のこの類の本は割と続けて読んでいる。必ずしも著者の提案するノウハウを実践している訳ではないけれど、何より明快な論旨、旧習に拘泥する弊害を一刀両断、バッサリと切る論調が痛快に面白い。

ところが本書はその点、従来に比べると物足りない。この手の類書(ビジネス、ハウツー)は海千とあり、余程、パラダイムシフト的な内容でないとインパクトを残さない。「目から鱗」であるとか、「思わず膝を打つ」といった感激が今回は得られなかった。時折、挟まれるコラムが従来は最高に面白かったのに、今回はそれも面白味に欠ける。

著者のパワーが落ちたのか、あるいは著者の唱える手法が普遍性を帯びてきた、社会が成熟してきたのか。

個人的異論

以下、著者の提唱に対して個人的にどうかな、と思えた点。

ネット環境の進展で、データはHDDでなく全てをweb上に置いて操作、処理できるようになった。これからはデータをネット上に置いて全てオンラインで処理した方がいい、と著者は説く。場所の制約から逃れられるし、データの同期ミスも防げる、安全性も高いというのだけれど、やはりあらゆる時、場所でオンライン処理できる環境は困難だろうし、ユーザー側もデータが手元に残らないことへの不安、抵抗はずっと続くのではないか。

形あるモノとして残らず、HDD内にデジタルデータとなっているだけでも不安は尽きないのに、それが自分の物理的に管理できる距離を超えてしまうことに社会全体が移行するのは難しいように思う。もっとも、パラダイムシフトを提唱しなければ本書の(著者の)意義がないのだろうけれど、これまでに比べるとどうしても説得力に欠ける。

Gmailで自分宛にメールを送ることでメールログを個人のデータベースにする、というのも前、勝間和代氏も似たようなことを云っていたはず。いずれも、「そんなものかねぇ」と素直には食指が動かない。「「超」整理法」の刊行と当時の感動からちょうど15年、僕も年をとって石頭になりつつあるのかもしれない。

全体的に、特別に目新しい視点はなく、既に著者が以前から繰り返し述べていること、また、誰かが述べていることではある。「整理するな、検索せよ」はそのとおりだろうし、web技術、検索エンジンの発展に誰もが普く恩恵を受け、既に無意識で実際にそうしている、実践しているようになった。

検索

それでも著者の考え方には共感できるから随分と影響を受けてきている。僕も仕事を始めた年にパソコンを買って以来、MS-DOS時代のフロッピーデータ、それ以前のワープロ専用機のデータ全てを失うことなくPCに移行してずっと保持し続けている。おかげで、著者の強調するgrep検索の恩恵を多大に受けてきた。ネットの普及していなかった頃からどれだけこのgrep検索が役立ったか、仕事で救われたか数知れない。ホームページ作成もブログ構築もテキストエディタなくして、grepなくしてあり得ない(これ無しの非効率さを思うとゾッとする)。

しかし著者は本作でgrepの限界を感じるようになった、と吐露している、僕自身はなお強力な機能と確信しているけれど、それでもやはりGoogleデスクトップの恐ろしさを僕も痛感させられている。初めてGoogleデスクトップが世に出た数年前、「重くてとても使えない」とすぐに外した、アンインストールの理由を問われる画面が表示されたから正直にそうコメントしてGoogleに送信したのだけれど、技術と環境の進化は素早いものだ。

全体に、著者の従来からの持論であるPCの、ITの最大の恩恵が「検索」にあることは僕もこのブログ構築で「サイト内検索」の設置に苦労している過程であらためて身に沁みさせられている。著者は「日本のサイト内検索は不十分」というけれど、それだけ検索技術というものが難しいことの裏返しだろう。

僕もつい先日のメモに残したように、今、設置しているサイト内検索は全テキストデータを対象とする「完全網羅」性の利点がある一方で、「完全一致」でないと対応できない(=それが当然の)原始性は残る。語句の揺らぎや曖昧性、最近では麻生首相ばりの誤読、誤字がどれだけあってもジャストミートに抽出して、その上、ランク付けするGoogleの技術が凄すぎるのだ。

発想支援にGREPを使う。検索機能の活用を押し進めると、単に望む情報を探すだけでなく、新しい可能性も開ける。アイディアを新たに生み出す創造的作業の可能性が秘められている。

満足度:★★★


 

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