二十歳の原点

没後40年

二十歳の原点 (新潮文庫)
二十歳の原点

今日の朝日新聞「ニッポン 人・脈・記」の新シリーズが「反逆の時を生きて」。学生運動が何をもたらしたのかという問いの第1話として、標題の日記を遺した高野悦子さんが取り上げられていた。

懐かしさと同時に、なぜ今・・・と思って、久しぶりに単行本を取り出してみたら、4日後の6月24日に、彼女が身を投げてからちょうど40年になるせいでもあるのだろう。

「序章」、「ノート」と合わせた「原点」シリーズは、当時、まさしく二十歳だった僕にとってもかつてない衝撃を受けた(そして今もこれをこえることのない)、忘れられない本。高野さんが二十歳で自殺したのが69年、僕が大学在学中に読んだのが、87-88年頃、そして今また・・・とおおよそ20年スパンでの巡り合わせ。

記事には関川夏央氏も登場していて、本文中に取り上げられている評論をも持っている僕にはすぐに合点がいったのだが、その著作の中でも時代の変化に触れられている。

(300万部にも達したシリーズも)80年代後半からは売れ行きが衰えた。時代の空気が入れ換ったのか、高野悦子のような悩み方に青年たちは同情しなくなった

僕はその、まさにバブルの時代に突入していった80年代後半に読んで感動した、ある意味、奇特な人間ということになる。著作の中で続けて関川氏は(1993年刊行の)数年前に立命館大で話をした時、彼女の名前に学生らが全く反応しなかったことを記している。

実は僕も卒業後、社会に出てから立命大出身者に出会うと必ず話題に持ち出してみていた。僕の中では立命といえばまず真っ先に高野悦子さんというくらいに敬意と憧れとを抱いていたのだが、やはり、男女数人、いずれも反応ははかばかしくなかった。

たまたま自分が偶然に出会って感動したくらいで同じことを他人に求めるのは慎まないといけないと反省させられたのだが、僕が特別なわけではないはずの、あれほど魂を揺さぶられたことはないと、20年を経ても断言できる。

ブログの時代に今、なぜ?

二十歳の原点シリーズ
1971-76年刊行の単行本

僕が当時、読んだのは新潮文庫で。その後、僕自身は単行本をも買い足したくらいだけれど、文庫も「序章」と「ノート」は絶版になり、完全に「原点」シリーズは忘れられてゆくものかと思っていた、それが今また4月に新しい版元から出たのだという。

当時から十年前までは僕も日記をつけていた。その後、ホームページに代わり、今ではブログだ。一億総ブログ化している今の日本のまぎれなき一人。ブログは人に読まれることを前提としている分、無意識に媚びへつらい、変におもねった内容のウケを狙いがちなものになる。コメントやアクセス数を気にして嫌悪感や重たい主題は嫌われ、軽いタッチで空気を読んだ内容が好まれる。

でも、こんな時代がくるとは想像すら出来ない当時の、他人に読まれることを想定していなかった赤裸々な、痛切で真っ直ぐ過ぎる手記であるがゆえに見直されるようになったのだろうか。

彼女にとって日記は逃避の場所とはならなかった。むしろ「醜い」と信じる自分、あるいは「醜くならなくてはならない」自分を映し出す鏡だった。そこは罪や恥や反省をひそかに保管する場所でもあった。・・・真面目で、多少内省的すぎる若い女性がおうおうにしてそうであるように、高野悦子は「自然主義文学」の考え方で自分をいつも鞭打っていたのである。「正しい生活」や「正しい生き方」をもとめるあまり、あり得べき姿から遠く離れた場所にしかいない自分を責めつづけていたのである。

asahi.com(朝日新聞社):わが娘の「二十歳の原点」 - ニッポン人脈記



 

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