チェコスロヴァキアめぐり

カレル・チャペック 飯島周編訳(1996年刊 恒文社)

2007/07/26読了、2007/07/29メモ

小国チェコの生んだ国民的作家

1996年刊恒文社

今度の旅行には可能な限り、チェコのことを学んでから臨もうと思う。

心を無にして大自然を受けとめれば良かった作夏のスイスと比べて、プラハを中心とするチェコの見所は歴史的建造物の街並み。

以前、読んだある記事の中で、旅先の地として自然を選ぶか、遺跡遺産を選ぶか、人により好みが分かれるという解釈があった。どちらがいいというものではないが、確かに人の営みが現れている遺跡にはロマンがあり、事前に関心を寄せただけのものが自分に跳ね返ってくる。さらに興味も膨らむ。

百塔の街、建築博物館と称される数多い世界遺産がチェコに生まれたのは何故なのか? その意図する宗教的色彩は何なのか? どんな時代に、どういった人物がからんだ出来事があったのか?

「物語 チェコの歴史 森と高原と古城の国」ではある程度のチェコの通史をつかむことができた。

本書は学習的なものでなく、リラックスして読めるエッセイ選集。チェコの作家が自国を旅行記風に回想したもの。祖国、故郷への思いがやさしく綴られている。童話のような暖かみで語りかけてくるが、時に辛辣な祖国への風刺も忘れない。

プラハにはチャペック記念館やチャペック兄弟通りもある国民的作家。本書の終章「あいさつ」はナチス侵攻前夜の暗い時代に筆一本で抵抗した絶筆であり、「民族と民族の距離のおそろしいほどの遠さ」を嘆いている。

+++ ヴルタヴァ川に沿って チェスキー・クルムロフ +++


ヴルタヴァ川がここで何回曲がりくねっているか、わたしは知らない。できるだけまっすぐに歩いて町を横断すると、五回ほど川を横切ることになり、そのたびに、川がとても黄金がかった褐色で、とてもいそがしく流れているのを見る。

町に入り込むと、色彩感あふれ、古い昔と歴史的な栄光ばかりが見える。ここにはまだ、15世紀におけるような古い職業が生きている。

ここですべての上にぬきん出て支配しているのは、あの上方に建つ館、そして主として塔である。その塔は、わたしがこれまでに見たもっとも塔らしい塔の一つだ。

塔はチェコの特産だ、とわたしは言いたい。わが国のあのような不思議なキューポラ、まるっこい玉ねぎ型、けしの頭型、灯台、付属塔とギャラリーと尖塔は、ほかの場所にはないからである。チェコの古い町はどこでも、その町に特有の塔をもっており、そのため、これはフラデツで、これはブジェヨヴィツェで、これはチェスキー・クルムロフだ、と見分けられるのだ。

満足度:★★★★

カレル・チャペック(1890~1938)

2004年刊講談社+アルファ新書

以下は、『プラハ 歴史散策』(石川達夫/講談社+アルファ新書)より──

世界で最も有名なチェコ人作家。

17歳でプラハに転居し、以後、主にプラハで活動した。非常に幅広い分野で筆をふるった才人で、純文学、SF、推理小説、戯曲、童話、評論、伝記、旅行記、エッセイ、詩の翻訳、新聞のコラムや記事に至るまで多岐にわたっている。

作家であると同時にジャーナリストであり、人民新聞に勤めながら作家稼業を続けた。同時代の現実に潜む危機を洞察し、文明と歴史の行方を鋭く見通して人類に警笛を鳴らし続けた。人間性と民主主義を理想に掲げるマサリク大統領に共鳴し、伝記文学の傑作『マサリクとの対話』も残している。

ファシズムを批判し、ヒューマニズムを擁護する文章を勇敢に書き続けたチャペックは、ノーベル文学賞の候補にも挙がったが、当然のことながら、ファシストからは激しく攻撃された。1939年、チェコに侵略したナチスの軍隊が彼を捕らえようとしたとき、彼は既に病死していた。兄のヨゼフはナチスに捕らえられ、強制収容所で死んでいる。

チャペックは兄のヨゼフがデザインした墓に眠っている。小鳥たちが水を飲みに来るようにというチャペック自身の願いにしたがって、小さな石の水盤も付けられている。

「賦役・奴隷労働」を意味するチェコ語の「ロボタ」から「ロボット」という造語をつくったことでも知られる。



 

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