東京奇譚集

村上春樹(2007年刊 新潮文庫)

2008/02/17読了、2008/03/22メモ

久しぶりに往年の作風を堪能

2007年刊新潮文庫

以前、『アフターダーク』で「遅れ始めた追っかけ」と述べたように、春樹ファンのつもりでいても新刊と同時に飛び付く・・・ということがなくなってきた。本書はさらに、刊行(2005年)から二年以上経ち文庫に収録されて初めて手にした次第。

どんな内容でも話題になる著者の作品であるから、いくつかの書評を通じて中身も伝わってきていたのだけれど、どうして手にしなかったのだろう? というくらい怠慢になってきている。

それが、今回は放っておいた時間がもったいないと少し悔いたくらいに久しぶりに楽しめた。『ねじまき鳥』(1994年)頃から著者の「小説」にはっきりとした変化が現れてきたように思う。そのあたりから徐々に読んでいて以前ほどのカタルシスが得られない、不完全な気持ちを感じつつ、次第に関心もトーンダウンしていたのかもしれない。

芸術家として、人間として進化する、変化するのは当然のことと承知しつつ、でも残念だなと思っていたのだけれど、本作は久しぶりに往年の作風、春樹らしさが充満していて堪能できる。きっと往年の春樹ファンも同じように感じたのではないだろうか。冒頭の数行で『回転木馬のデッドヒート』(1985年)が思い起こされた。これからも時々は懐かしさを感じさせてほしいな。

著者の作品によくあるように、一風変わった、世間に、社会に、うまくそぐわない、なじめない鋭敏すぎる感覚を持つ主人公がいくつか描かれた短編集。

五編中、最後の「品川猿」が特に秀作と語られることが多いようで、実際、あの手の「女の子」を描くのが春樹の得意なところだと思うけれど、僕としては最初の「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」の二編が良かったな。

どちらか一遍でも充分、優れているところ、普通に順に読むと、陰と陽、という具合にトーンを変えて読ませるところがいい。先に懐かしい味付けの「偶然の旅人」で自然に引き込ませ、次に「おっ」と感じさせるアクセントがまた心地いい。これまた懐かしいね、という具合。文章のリズムの良さ、ホノルルの海や気候が目の前に広がってくるような見事な表現と、かつユーモアもせつなさも抱える「ハナレイ・ベイ」が秀逸だなと思えてきた。

満足度:★★★★

サチは毎晩、88個の象牙色と黒の鍵盤の前に座り、おおむね自動的に指を動かす。そのあいだほかのことは何も考えない。ただ音の響きだけが意識を通り過ぎていく。こちら側の戸口から入ってきて、向こう側の戸口から出ていく。ピアノを弾いていないときには、秋の終わりに三週間ハナレイに滞在することを考える。打ち寄せる波の音と、アイアン・ツリーのそよぎのことを考える。貿易風に流される雲、大きく羽を広げて空を舞うアルバトロス。そしてそこで彼女を待っているはずのもののことを考える。彼女にとって今のところ、それ以外に思いめぐらすべきことはなにもない。ハナレイ・ベイ。


 

  Related Entries


Message

メールアドレスが公開されることはありません。