翔ぶが如く(二)

遅読再読

(一)をエントリしてから4週間。今年中に十巻読み終えられるとは自分も思っていないが・・

決して自分が遅読なだけでなく、一巻も二巻も何度も読み返さないと折角の面白さを味わえないようで。

二巻は、征韓論/遣韓大使に進もうとする西郷の論と、それを潰そうと舞台をまわすべく駆け回る伊藤博文ら、のともに「国家」を思っての新政府の割れる日々と様相。

明治維新において薩摩藩が主導権をにぎったのは凡百の書生論議のためではなく、大久保一個が権力をにぎったがためであった。船でたとえれば島津久光は船長職であったが、舵輪をにぎる資格をえた舵手の大久保を信頼したために、薩摩藩という船が、久光の考える航路とはまるで別の航路を突っ走ってしまったのである。他の船員たちは一時は動揺したが、その船員をおさえ、その心を攬ったのは船員に信望ある西郷であった。旧幕における政治体験の区別でいえば西郷は大衆を知ってその統御のこつを心得ていたが、権力がどういうものであるかは、体験としては知らなかった。逆に大久保は権力は知っていたが、大衆についての感覚や体験はほとんどなかったといっていい。


 

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