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充たされざる者
夢のような物語
「浮世の画家」の次もカズオ・イシグロを続けて読んでみる。文庫本で950頁もの大長編。とにかく長い! のだが、大作というより、ひたすら冗長な、ある意味では退屈な作品。イシグロがあえて意図したところで、世に言う実験小説という類になる。
ピカソやダリの絵のような、シュールレアリズム(超現実主義)の世界を小説で表現しようとしたらこんなふうになった、読者を惑わし、あえて辟易させるためにこれだけの分量が必要だった、というところなのか。
夢のような不思議な物語。僕ら現実の人間が見る夢も、記憶の中にある断片によって組み立てられ、けれども、しばしば、空間や時間は連続していない、根拠の無い、あり得ない設定であるように。常に迷い込む展開。それでいてディテールは非常に緻密で明晰で、微に入り細をうがつ。
緻密に計算されたデタラメ
最初、読んでいるときに漱石と通じるところを感じた。この作品が特に、というのでは全然、ないのだけれど。それで僕が漱石もカズオ・イシグロにも惹かれるのかな、と思う。そういえば、漱石にも「夢十夜」という作品がある。
舞台は中東欧風のどことも知れぬ地。高名なピアニストの主人公は依頼されてやって来たようなのだけれど、普通の物語と期待して読むと、いつまでも入り口に辿り着けない。
柴田元幸氏の講演を引用するなら
変な雰囲気のホテルに着くとポーターのおじいさんが出てきて、荷物を持って一緒にエレベーターに乗ります。そこでおじいさんが自分の人生のうちあけ話をするんですが、その話が何ページも続いて、エレベーターの中で 1 時間ぐらいしゃべっているような感じなんだけれど、まだ途中階を通過中(会場笑)。
という具合で、最初から苛立たせる。読み進めてゆくも登場人物も彼らの関係も輪郭がはっきりしない。どうも顔のない人間、モザイクをかけられた絵、ふすまの向こうの影絵・・・を見ているような感じ。
焦点の合わない対象をはっきりさせられぬ苛立ちと靄とが立ちこめてゆくうち、設定のおかしさに気付く。「おかしい」「あれ?」の連続に混乱させられる。設定がデタラメなのだ。初めて会う女性がいつの間にか妻のようであり、相談を持ちかけてきた青年が自身の青年期であり、長い道をドライブして離れていなかったり・・・。
上のハヤカワ文庫の表紙も、右のペーパーバックの表紙も、この小説の何とも言い表せない漠としたイメージをいい感じに表現している。まさしく、こんな具合に夕暮れか夜か、見知らぬ町の、他に人のいない現実感の薄い虚構の世界。
けれども、そのデタラメに身を任せて読み進めると──何しろ950頁分の時間だけはたっぷりとある、その忍耐と辛抱があるなら──、どうもこれは緻密に計算されたデタラメであり、嘘であることが見えてくる。
よく例えられるようにカフカを思わせる不条理であり、不思議な展開である。到底、人にはおすすめできないが、何でもイシグロが4年、5年かけて書いた自信作というくらいだから、小説としての娯楽性やカタルシスには欠けようけれど、本気で取り組める熱意と忍耐力があれば研究対象としては面白い。イシグロワールドを理解する上では外せないだろう。
・・・と、僕がどうこういうよりも柴田氏の講演、評が面白くて素晴らしいので、リンク先を参考にしてください。但し、主要作品全てについて語られている、この人にかかると裸にされた上になお深部までえぐられるので、これからイシグロ作品を読もうという気のある人は後からの方が賢明。柴田氏によれば本作は「壮大な失敗作」(「わたしを離さないで」が「壮大な成功作」)で、ともに素晴らしいという。
読んでいる時は対象をはっきりとつかめない──これはイシグロ作品に共通するところだけれど──、じれったさや軽い不快感さえ感じるのだが、読み終えてみると不思議に満足感は大きい。自分の読み込みの浅さ、ヴォリュームに耐えうる忍耐力がなかっただけ、ということを気付かされる。
初マラソンを、投げ出さないのは良かったがからがらに完走した感じ。いつかまたリベンジしたい。
青山ブックセンター:『充たされざる者』刊行記念「カズオ・イシグロと無限の物語」
満足度:★★★★★
2009-06-24



