停電の夜に -- 緩衝材としての再読

ジュンパ・ラヒリ/小川高義訳(2003年刊新潮文庫)

2010/08/18読了、2010/08/19メモ

最初読んだときの冴えない印象は間違っていなかった

停電の夜に (新潮文庫)
停電の夜に

前回5月に5年ぶりに再読したことをエントリしてから残っていた4編をこのたびようやくに読了。

どうしてまた手に取る気になったかというと、新潮クレスト・ブックスの「千年の祈り」を読み始めてみたらこれがとてもいい。ユーズドで購入したその2007年発刊当時の単行本の中にクレストシリーズの「9周年記念 ベスト・セレクション」の栞が入っていて、それに両作品が挙げられている。それで両者の対比を意識しつつ、実際には「千年の祈り」の感動が素晴らしすぎて、そのままに次を読み進めるのがあまりに惜しい、一種、感動の緩衝材のつもりで「停電の夜に」を利用する形となった。

両作品とも短編集で作者の事情もよく似通っている。ともに女性、母国(インド、中国)を持ちつつもアメリカに渡り過ごし、英語で書く作品がアメリカで絶大な評価を得た。ジュンパ・ラヒリが同じ1967年生まれ、「千年の祈り」のイー・ユン・リーが1972年と、ともに30代の若さで世界に認められた。

一般にはジュンパ・ラヒリが先輩であり格上でもあり、というのが通説なのであるけれど、個人的には「千年の祈り」の良さにふれると「停電の夜に」は全くかすんでしまう。5月のエントリで普通に心にしみたとは書いたけれど、それでも6 編目の「セン夫人の家」が再び(三たび)読み終えられなかったように冴えない感じは依然、残っていた、5年前の初読で心に全く引っかかるものがなかった自分が決しておかしくはなかったのだと確認できた。

美をひけらかし過ぎな根本にあるもの

前回も触れたけれど、この作者の自身に重ねて美貌の女性を登場させるパターンが、最初はまあ、苦笑ですまされても度々、繰り返されるとさすがに鼻につく。

美しさと知性を併せ持ち、母国インドのとかく旧い慣習やしがらみや・・・を捨てて新しく自由な国、アメリカで才能を発揮する、自らのサクセス・ストーリーというパターン。新しい女の生き方を軽いタッチで描く、ところがこの作家の流儀であり、その安心して繰り返されるスタイルが支持されている、のだろうか。

順に読んでいった中でとりわけひどいなと思えたのが8編の「ビビ・ハルダーの治療」。奇病で嫁き遅れている30前の、しかし意識は正常で「男が欲しい」本音をもつと設定される女が主人公。

一人で勝手に哀れっぽくなって、病気の暗さが肌の毛穴からにじみ出ていた。ねじくれた根性をさらけだしているビビに


歯が四本しかない侘びしいやもめ男でさえそれ(=ビビの花婿)だけは勘弁してくれ

という具合に美しさも知性も品性も持ち合わせていない醜い女に対しては容赦ない筆でこき下ろす。

病による心の傷が当人の心理にどんな影を落とすかということなどハナから考えられもせず、一昔まえの旧い時代がそうだったように、あるいは身分制度の残る国ゆえの偏向か、かたわ、不具、奇形は嘲笑の対象として最適とばかりなステレオタイプ的思考。

根底にある優生思想があからさまでなんとも嫌な心持ちにさせられる。

もちろん、創作であり小説であり、9編の中でも異色な昔話風の物語(笑い話)であり、作者も肩の力を抜いた気楽な試みだったろう、この作品も一応はハッピーエンドに仕立てられているが、それだけ余計に作者の本性が透けて見える。

ちなみに他の(題材が普通の)作品に登場する主人公とその周囲は皆、ハーバードやケンブリッジやマサチューセッツやイェールや・・・といった学歴エリートばかりで固め──そうでなければ作者には相手にされず──、その中で美人で知性のある作者自身を投影する主人公(作者自身)に「すごい美女」と(自分で)いわせて悦に入る。嫌悪感は増すばかり。ビビに投げた言葉をそのまま作者に返したい。

共通するのは多く若い男女の繊細な感情、心理のすれ違い、といったところなのだが、平和なお話である。

満足度:★★


 

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