障害者は、いま

大野智也(1988年刊 岩波新書)

2007/05/19読了、2007/05/20メモ

良書ながら

1988年刊岩波新書

妙な組み合わせながら、樋口廣太郎「知にして愚」と同時に古書で購入。19年前の刊行。よく目にしていた、知っていたけれど、障害学として学問的に研究する訳でも仕事として関わるわけでもないし、で手にすることもなかった本。

障害者問題が新書一冊の分量に到底、収まりきるものではないが、でも充分よく総論化されている。勉強になることが多かったし、著者の真面目で誠実な姿勢が伝わってくる。

読んでみて良書だと知るのだけれど、岩波新書というメジャーな古典でもあるのだけれど、個人のホームページやブログでは取り上げられることのない、やはりマイナーな分野。

本書で概括されている歴史や、刊行後、今に至るまで、当事者・関係者の努力、尽力のおかげでだいぶ、障害者をとりまく問題は改善されてきた。と同時に、20年近く経っても変わっていないと思えることも多い。法律を変えたり、設備を整えたり、というのは目標として設定しやすいけれど、社会の目、人間心理の面では一朝一夕にいかないことも多いから。

大人のプライド、地域へのお返し

随所に事例が紹介されていて興味深く読める。最終章が特に面白く、ひとつは「大人のプライドを大切に」。大学生と働く精神薄弱の学生がグループをつくって活動していた。その初代会長に選ばれたのが28歳のダウン症の青年。

28年間、いつも管理され他人の指示で動かされてきた彼にとって、人の上に立つということは何よりもうれしかったし、生きがいだった。

会長になったことは、この上ない喜びであり、誇りでもあった。

ところが言語障害がひどく、「何をいってるのか分からない」と苦情が出て翌年の選挙で落選。その翌日から、職場へ行くのをやめてしまった。

ちょっとオチが悲しいのだけれど、そうだよね、障害者も当事者団体だけでなく、健常者を含めた日常の場で、排除されることなく普通にリーダー的立場になりたい。

ただ、ここで思うのは彼が落選したように「何をいってるのか分からない」上に、みんなの声をきくこともできない聴覚障害者の場合、多分、一番、厳しい立場だなとも思うこと。車椅子の社長、市長、議員は珍しくないし、全く抵抗ないけれど、きこえない者をリーダーにしてくれる度量が社会にあるかどうか。

もう一つは、秋田県稲川町の障害者たちが協会をつくって、自ら植林事業をはじめ、公園をつくったという事例。

私たちは稲川町の人たちのおかげで、仕事も得たし、安定した生活ができるようになった。何かひとつ地域にお返しするようなことはできないだろうか、と考えたのです。そこで児童公園をつくって、みんなの憩いの場にしよう。それは自分たちの心のふるさとにもなるだろうし、ときには他人に理解してもらえない苦しみも、公園に登ってきて、大空に向かって大声を出せば消し飛んでしまうだろう──そんな気持ちもありました。

いい話だなあ。黒澤明の「生きる」も思い出す。

甘えと迷惑

それから、これは本書に限らずよくいわれるのだが、障害者の「迷惑論」。

自分たちは、街へ出て他人の援助を受けることが心の重荷になって仕方がない

これに対して

迷惑をかけてもいいじゃないか。──いや、かけなければいけないんじゃないか。いちいち後ろめたい気持ちになったりするのがおかしい。私は、むしろ堂々と胸を張って迷惑をかける決心をすべきだと思う。

最初に書いたように、樋口氏の著作とのミスマッチングな読み合わせを同じ日に行ったのだが、樋口氏が著作の中でも述べているように、普通には「他人に助けを求めるのは甘え」であり、「人様に迷惑をかけてはいけない」のが親の教え。

「迷惑をかけてもいいよ」と人にはいえても、自らが「迷惑をかける決心」というのはいうほど簡単じゃない。僕自身も人に迷惑をかけることの抵抗、縛りから、なかなか抜けられない。変に「男の沽券」にこだわってしまっているかもしれない。助けを求めること、あるいは、障害ゆえにできないでいることが「甘え」ととられることも多いから難しい。

満足度:★★★★


 

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