心臓を貫かれて(追記)

【楽天ブックスならいつでも送料無料】心臓を貫かれて(上) [ マイケル・ギルモア ]

心臓を貫かれて(上)
[ マイケル・ギルモア ]

価格:720円(税込、送料込)

本書の重みというものを改めて述べてみたい。

読後感を一度メモし終えた後も、それで終わるのではなく、そこからさらに新しいものが生み出されてゆく物語なのである。ただ心に残るだけでなく、自分の中に絶えず刺激と触発を与え続けてくれる。ものすごいパワーを持った本だ。

柴田元幸氏評

毎日新聞書評欄のコラム「この3冊」で、以前、柴田元幸氏が登場したことがある。そのときの対象が村上春樹なのだが、小説ではなく、翻訳者としての春樹に照準をあてての選定という試みが面白かった。長い付き合いという2人は、後に『翻訳夜話』(2000年 文春新書)を共著としても出したのだが、当時の新聞紙上で柴田氏は、春樹の翻訳書から(1)『Carver's Dozen──レイモンド・カーヴァー傑作選』、(2)『ザ・スコット・フィッツジェラルドブック』と(3)『心臓を貫かれて』を選んでこう述べている。

作家による翻訳というと、原文から自在に離れた、創作に近いものを想像しがちだが、村上訳はむしろ、原文の手ざわりをじかに伝達することに心を砕いているように思えた。

そういう姿勢自体、原文に対する敬意の表れだろうが、それに加えて、世評とは無関係にとにかく個人的に敬愛する作品を訳すのが一番まともなのだという、考えてみれば当然のことを、この翻訳者は身をもって示してくれた。

3冊中、(1)と(2)はそうした愛情の産物のうち文庫本化されているものから選んだ。(2)は訳者のエッセイつき。(3)はやや例外的で、書き手としては村上春樹よりはるかに劣る人が、一冊だけ驚異的な本を書いてしまったというケース。破綻だらけの、しかし切実な文章と格闘するなかで、村上さんの内で何が変わったのか、あるいは変わらなかったのか、将来の比較文学者の格好の研究テーマになりそうだ。

柴田氏も述べているとおり、一度だけ読んだ読者としての僕がこれほどの衝撃を感じているのだから、原著にがっぷりと組んで訳した春樹への影響は計り知れないものであろう。刊行前から訳者春樹が強い衝撃を受けたと告白していた通り、フィクションメーカーとして、あるいはその後力を注ぐこととなったノンフィクション分野においても、春樹の中に大きなものを残したことは容易に想像がつく。きっと将来もずっと、折に触れて春樹を動かしてゆくにちがいない。

映画『チョコレート』

昨年11月、映画『チョコレート』を観たときに思ったこと──。

黒人女優として初のアカデミー賞主演女優賞をとったことで話題になっていた作品だ。日本でも7月から上映されていたのに、フィルムの数が少ないのだという。上映箇所が制限されているらしく、山口ではなかなか上映されない。11月2日からワーナーマイカル防府でようやく上映されたのを機に、待ちに待ったという気分で出かけてみた。

淡々と進む進行が悪くないのだが、それにしても、どうしてアメリカという国は、こうも刑務所の物語が好きなのだろう? 『ショーシャンクの空に』、『グリーン・マイル』・・・。

この映画の間中ずっと僕の頭の一部を占めていたのが、まさにこの6月から長い時間をかけて読み終えた『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア/村上春樹訳)であった。

死刑囚の兄を持つ弟によって書かれたこのノンフィクションも、刑務所の状況や家族との面会シーンが当然、重要なポイントとして描かれている。『心臓を貫かれて』を読んだことにより、僕もアメリカ社会の愛、暴力、セックス、人種差別・・・について非常な知識をもつことができていた。映画というのはごく短い時間の映像であるがゆえに、特に洋画であればそのストーリーの土台となる国の生活習慣、習俗、社会の仕組みを知っているかどうかで受け止め方が大きく異なってくる。

長編ノンフィクションの本書を読んでいたことで、僕なりにこの映画の背景にあるアメリカ社会を、刑務所という特殊な世界の状況を、読んでいないのとでは随分違っただろう状況で画面を追うことができた。この映画のもつメッセージへの理解が大きく助けられた。

ところで、処刑シーンというものを人はどうイメージしているのだろう? 『心臓を──』でも最後に描かれているが、無論、映像で示される映画の方がメッセージは直接的で強い。『グリーンマイル』や『チョコレート』を観た日本人なら、その死刑執行シーンに誰しもが異様な感触を味わったことだろう。死刑執行シーンが住民に公開されていること、そして当たり前のように映画のシーンにもあらわれることは日本人には想像できない。

処刑現場を公開することで、見せしめの効果をももたらしていることは古今東西に共通しているし、被害者側に与えるカタルシスの作用も当然あろう。けれども、少なくとも今の時代、死刑の執行が後日になってひっそりと発表され、それを新聞記事の片隅でようやく知らされるだけの日本にいると、アメリカの死刑制度というものが日本と大きく異なっている、罪を裁くときの社会の仕組みが根本的に違うのだな、ということが不思議な重苦しさで実感させられる。

『心臓を貫かれて』自体、心に重く残る作品であったけれど、こうして、その後に作品を喚起させる今回のような映画を観ることで、さらに思いが増してゆく。今回、映画『チョコレート』を観て僕に残った思いは、映画そのものへの評価というよりも、『心臓を貫かれて』の内容の恐るべき深みというものへの認識を改めて強く実感させられたことであった。

名古屋刑務所事件

昨年から、名古屋刑務所での暴行事件がメディアをにぎわわせている。最初は皮手錠、今年に入って裸の受刑者への高圧消防放水による死亡事件が明るみに出た。 この事件をニュースで知ってから、やはり『心臓を貫かれて』を読んでいたことで、僕も単なる好奇心以上のものをもってマスコミの報道に関心を寄せている。これまで目の届かなかった、特殊な世界で起こった事件は、例によって、あるひとつをきっかけに過去の事件までもが連鎖反応的に次々に明るみに出てくる。

被害者の人権に配慮してであろうか、マスコミは極力、「皮手錠」「消防放水」とだけの表現にとどめて残忍な表現を回避しているけれど、要は皮手錠で腹部を締め上げて、また、肛門に高圧の消防放水を浴びせて死に至らしめたということである。考えただけで身の毛のよだつおぞましさだ。

『心臓を──』は決して刑務所内を描くことがテーマではないのだが、死刑囚の兄がおかれた状況を克明に記録しようとした著者によって、実によくアメリカの刑務所というものを読者に知らしめる結果をもたらしている。読者は否応なしに、刑務所で囚人同士のリンチやレイプが、また看守による現実社会での想像を越えた奇怪なまでの暴行が日常化していることを知る。

しかしながら、読んでいるときには日本ではあり得ないこと、あくまでアメリカという国での別世界のこととしてとらえていた。それらは犯罪率の高さや、黒人白人間に残る差別感、富裕層と低所得層との大きな乖離がもたらす社会の歪みといった、多民族国家「アメリカ」ゆえの現象としてしか読み取れなかった。受刑を経験するのでもない限り、当たり前のことだが、『心臓を──』の記述には身をすくめさせられるけれども、やはり外国映画を観るように、あくまで「アメリカで起きた出来事」以上の実感をもつことはできなかった。

それが今回の名古屋刑務所事件により、日本でも刑務所の内部が異常な世界であることを、現実のものとして知ることになった。決して身近なところとはいえないけれど、間違いなくごく近くの世界でおぞましい暴力が常態化している。

「塀の中」を好んで知ろうという人は普通、いない。大多数の人にとっては、物理的にも心理的にも隔離されるべきものとして、刑務所を忌避すべき対象としてとらえているというのが実情であろう。事件でも起こらない限り、思いをはせることもない。厳しく管理された受刑期間を服することによって、立派に社会復帰する──映画やドラマで見るような、出所のシーンくらいしか思い浮かばないし、そうであるに違いないものと期待を込めてしか想像できない。

そうした状況が変わりつつあることを、今回の事件を契機にしたマスコミの報道で知ることになった。かつては受刑者を真人間に立ち直らせること、矯正してゆくことが有効に機能していた日本の刑務所が、そうでなくなってきているという。

容易に想像がつくように、「学校」とは異なり、「刑務所」という施設は人を受け入れるばかりの建物である。刑に服する期間が短くないことを考えれば分かるように、出てゆく人間の数より入ってくる数の方が圧倒的に多い。加えて外国人受刑者も増加しているという。今では全国どこの刑務所も超満員で、看守が受刑者に目を行き渡らせることが難しくなっており、また、そのことが受刑者にも看守にも強いストレスを与えているのだという。

余談になるが、それで今、全国の自治体から刑務所誘致運動というのも起こっている。わが山口県でも美祢市が企業進出のない工業団地に誘致しようとして市民の声を集約している段階だし、隣の広島県甲山町では既に議会が了承した。

イリノイ州における死刑囚の大量恩赦

昨年後半から今年初めにかけて、刑務所関連の事件としてもうひとつ、新聞に見入ったのは、アメリカ・イリノイ州知事が死刑囚156人を全員一括して減刑にしたという記事である。

アメリカという国家が州政府自治の強い国であることはそれなりに知っていたが、死刑制度を存続させているのか、あるいは廃止しているのかまでもが州政府にゆだねられていることについては、『心臓を──』を読むことで初めて知ったことである。『心臓を──』では特にモルモン教との関連もあって、宗教性の強弱が当然、州政府の性格に、ひいては死刑制度というものに強く影響を及ぼしていることが読み取れる。

それでも、「確か、『心臓を──』では、著者の兄が10年以上死刑の執行されていなかったアメリカで自ら死刑を望んだことが注目を浴びた、そのこと自体が主要なモチーフであったはずだ。その後、状況が変わっているのだろうか?」という少し不思議な気分もあって、僕がこの記事を興味深く読んだ訳である。

もちろん死刑制度の存続していることと、現実に刑の執行されることとは違う。新聞報道を機に、今のアメリカが州によって死刑の執行について多様な現実を有していることを、また、世界主要国の間でアメリカが飛び抜けて死刑執行の多い国であることをも知った。

そして、この記事が国際面ではなく、総合面で大きく取り上げられたことにも僕には興味深く感じられた。イリノイ州の決断がアメリカの他の州を揺るがせたのはもちろん、世界各国においても、また、日本における死刑論議にあっても無視できない大きな事件であることを示している。

当ライアン知事は、操作の信憑性に疑念があるとのことから、知事を退任する2日前にこの減刑を決定したのだが、後任知事は「一括減刑は大きな間違い」と批判した。僕も「冤罪の恐怖」については、学生時代に衝撃を持って知ったつもりであるがやはり、ここ十数年、日本でも凶悪、残忍な犯罪が頻発している中で、それでも余程のことがなければくだることのない極刑を、簡単に一括して恩赦されてしまえば被害者や遺族は浮かばれない、やりきれないだろうなとも思う。

新藤兼人氏評

映画監督、新藤兼人氏の『老人読書日記』については、荒川洋治著『日記をつける』評で少し触れた。

この本は「日記」というよりも、「私とは何か」を追求してきた著者の人生における読書遍歴を語ったものであるが、8編から成るそのうちの1編が<ゲイリー・ギルモアの「私」>として述べられている。新藤氏は、『心臓を──』の本文中からポイントとなるシーンを引用しながら、約20頁中の8割以上を割いてあらすじを紹介している。

氏は、映画同様、ノンフィクションにおいても「主人公には喋らせないで、主人公に関わる人物たちがいろんな角度から主人公に迫り、主人公の心理を描出する方法」が有利に働くのだと述べている。『心臓を──』がクライマックスで盛り上がるのもこの手法ゆえなのだ、という見方は映画監督ならではである。

すべては、末弟マイケル・ギルモア自身の口で語られている。それがこのノンフィクションの特色である。兄に対する愛と憎しみ、他2人の兄たちの生き方、父や母の生ま生ましい実像、自分自身の生きざまの勇気ある告白。すべての人が、「俺は何だ」と叫びをあげている。

あらためて読み返してみると、さすがに名だたる映画監督ゆえに、実にきっちりとこの“物語"のストーリーをまとめ上げて紹介している。圧倒的なボリュームの作品の要所だけをコンパクトにかいつまんでいる。手法こそ異なれ、同じようにストーリーを作り上げてゆく職業ゆえの力量がさすがだ。

そして、「これからこの本を手にとってもらう人のために・・・」と、読者に興味をもたせるべく著者により紹介されたこの章は、『心臓を──』のすぐれたダイジェスト版となっている。

ただ、もちろんながら、本書のこの章だけに目を通したのでは、心は揺さぶられない。心臓は貫かれない。当時の僕も「なるほど、春樹が衝撃を受けたというストーリーはこういうことか」くらいにしか感じられないまま、身体をするりと通り抜けていった。

その意味では、今回『心臓を──』を一度読み終えて、次々と自分の内に派生してくる思いを整理してみたい時、再読してみたい時、考え直してみたいとき手にするのに都合の良い、役立つ章になっているものだと思えた。

Special thanks~『心臓を貫かれて』評の収集サイト

冒頭に述べたとおり、本書は読み終えてなお、新しいものを次々に心に生み出してくれる、自然と僕の心の中に「追記」が蓄積されていった本である。こうした作品はそう多くない。

ちょうど、そうしたときに僕の「羊の本棚」を見たというaayanさんからメールを受けた。同じく『心臓を──』に大きな感動を受け、自身の感想と合わせて他のサイトをも集結させる形で紹介したいのだという。同じように『心臓を──』について述べられている個人のwebページを独自に探し集め、リンクさせるという素敵なアイデアを実践していただいた。

様々な思いが自然と僕の心の中に芽生えていたとはいえ、やはりいざ書き上げようと決意した、奮起させられたのは、aayanさんのこの打診があったからだ。他のサイトと並べられてみると、僕のページは恥ずかしい限りであるけれど、他の方が『心臓を──』をどう読んだのかを一同に知ることができるこの試みは本当に面白い。

僕自身がこうして今回、追記を書き上げることができたように、どんどん点から面になってゆく広がりをもつ。重たい『心臓を──』を再び手にしたのはもちろん、2年前に大きく感動した新藤氏の著作をも再読した。大きな幹のような本だ。

満足度:★★★★★

マイケル・ギルモア/村上春樹訳(1996 文藝春秋)

2003.3.15メモ



 

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