心臓を貫かれて

マイケル・ギルモア 村上春樹訳(1996年文藝春秋)

2002.9.21読了 10.5メモ

訳者も強く感動、推薦

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心臓を貫かれて(上)
[ マイケル・ギルモア ]

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それにしても、これほどのボリュームのある書物についていかに読後感を整理してまとめればよいのだろうか。量だけでなく、ずっしりと重い、あまりにも重過ぎる内容について。

防府の古書店にずっとおかれていたものである。この本が刊行された当時から、訳者の春樹が「これは是非読んでもらいたい」と、氏にしては珍しく強調していた、すすめていた作品であることが頭にあった。承知はしていたが、何分、かなりの量の作品である。上下二段組みで600頁をこえる分量だけに、果たして読みきれるものかどうかの躊躇が先にあって購入を思いとどまっていた。強烈過ぎるタイトルが人をよせつけないのか、それとも僕の購入を待ってくれているのか、一年以上経っても古書店の同じ位置に鎮座している。ついに定価2900円のところが800円にまで値下がっていたのを機に、書棚のこやしになっても、と思い買って帰る。

その日の夜遅く、プロローグを読む。面白い。すぐに引きこまれる。次を読みたいという気持ちにさせる。夜を徹して読んでみたくなる。一気に読んでしまいたい。2、3日のまとまった時間があれば・・・。

死刑囚を持つ家族の物語

本書は、十年以上にわたって死刑の執行されなかったアメリカにおいて、自ら死刑を希望した、そして実際に刑の執行された兄(ゲイリー・ギルモア)を持つ、末弟(マイケル・ギルモア)によって書かれた殺人の物語である。そして、死刑囚をもつ(あるいは生んだ)家族の物語である。

前書きで著者は物語と述べているが、本書はノンフィクションである。しかし、これほどの内容は、この世に起こり得るものとは到底思えない意味でまさしく物語である。他者の視点で記録されたものとしてではなく(そちらは、刑の執行後にベストセラーになったノーマン・メイラーの手による『死刑執行人の歌』がある)、物語ととらえねば、自分の家族として、兄のこととして著者は書き上げることができなかったろう。

すさまじい家族の物語である。悪霊が乗り移って離れない、呪われた家族の物語である。「呪われた」というのは、こうした状況でしか使えない、僕達が普段生きている世界ではまず使う言葉ではないような家族である。

著者が述べているように、また、容易に想像できるように、この作品を書き上げる勇気、労力、エネルギーは並大抵のものでなかったろう。しかし、著者が自分の家族にのしかかっている悪霊と対峙し、くぐり抜けてゆくためにも、書き上げられねばならなかったのだろう。"物語"の最後に近付いてくると、描写に力がこもってくる。読んでいる僕も著者マイケルへのねぎらいの気持ちが沸き起こってくる。自分もよく読んだが、このむごい人生の、家族の出来事を、よくぞ書き上げたものだ、と。死へ突き進んでゆく、それが病気や事故という自ら望まぬ原因によってではなく、運命の中で死ぬことを宿命付けられた兄を持つ、克明な家族の記録である。

殺人の話、悲劇を「面白かった」というのも適切ではないが、のめりこんでゆく。読んでいて身の毛がよだつ。恐るべき事実の積み重なりに震撼させられる。同じくミステリー小説も上下二段組みで書かれることが多いが、全ての記述が事実に基づくという意味で、読む者の心に突き刺さってくる度合いがはるかに違う。

家族への愛と葛藤

末弟である著者は、この物語のキーポイントとなる、自分の生まれる前の家族のことを知らない。自身の生前の「記録」、「客観的記述」で推移した前半に対し、やがて、後半はマイケル自身の「心の葛藤」が大きく浮き彫りにされてくる。

死刑判決が下されてからマイケルも何度かゲイリーに面会しにゆくが、ゲイリーを愛していると自分は思っている一方で、ゲイリーには突き放されてしまうこともある。

「おまえはこれまで、一度だって俺を理解したことはなかった」。

母として息子を思うベッシーの愛と、長兄フランクの、ゲイリーに対する、子どもの頃からのずっと続く親身な愛に比べて、マイケルはどこかでゲイリーを疎んじているところがある。死刑囚ゲイリーを持つがために、自分の人生がその呪縛から逃れられない、「アメリカに死刑をよみがえらせた男の弟」として自分の人生までもが踏みにじられてしまうことにたとえようもない苛立ちと怒りを感じる。正面から向かい合うつもりでいながらも、「彼の受けた断罪の一部を自らのものとして引き受けていくつもりは、僕にはなかった」。

父が死んだ時でさえ──マイケルが幼かったという理由はあるにせよ──あとになって「家族の中で泣かなかったのは自分ひとりだ」と振り返る。自分とは対照的に、父の死に母と兄たちが大きな打撃を受けたことに驚く。

家族を愛さねばならない、愛しているという思いと、けれども他方では家族への愛が足りない自分を責めてしまう苦しい葛藤である。大きく心が揺れる。

一方で、物語の中心的人物ゲイリーのみならず、やがてマイケルは長兄フランクへの愛にも遅まきながら気付く。目覚める。母ベッシーの死、ゲイリーの死刑執行後、残された唯一の家族でありながら、フランクをもマイケルは遠ざけていた。ずっと身を離そうとしていたが、長兄への愛にも気付いてゆく

「僕はそれまでこの兄の心の深さや、その孤独の広漠さを、本当に理解したことはただの一度もなかった。でもおそらく今からでも遅くはあるまい。僕には、血のつながりの中から生まれる信頼について、値打ちのある何かを学びとるための準備ができていた」

家族から逃れられたい思いと、けれども、家族を信じて認めたい思い。フランクに会うことができた「その瞬間、僕は家庭というものに抱擁されていた」。

献辞はフランクに捧げられている。

「本書は兄のフランク・ギルモア・ジュニアに捧げられる。兄は辛さに耐えつつ、僕がこの物語を語ることを助けてくれた。」

この物語がマイケルによって書き上げられたのも、ひとつに、マイケルのゲイリーへの、そして父への、母への、兄たちへの、家族への贖罪という面が大きいだろう。

また、シラーの手による刊行がベストセラーになったからこそ、みんなの好き勝手に取り替えられる事件として出なく、他人の手によらず、自分の手で自らが語りたかった、そうでもせねばやりきれなかったろう。

本書は極限の状況において、家族というもののあり方が描かれている。母ベッシーは誰よりも平穏な家庭を夢見た(それが極端なスタイルをとることはあっても)。ゲイリーは家族を滅茶苦茶に崩壊させた張本人でありながら、「失ってきた家庭生活を強く求め」た、心の底では絆を求めた。

裁判の最終日、ゲイリーがマイケルに電話をかけるシーン――

「おまえと母さんにちょっと知らせておきたくてね。・・・」

僕は立ちすくんでしまった。何と言えばいいのか、僕には見当もつかなかった。

「ねえゲイリー、何をすればいいのかな?」

「べつに・・・・・・、べつに何もしてもらうことはないよ」

「俺はただおまえの声を聞きたかったんだ。さよならを言いたかったんだ。つまりさ、・・・・・・」

『ライ麦畑でつかまえて』のホールデンが最後に妹フィービーに会おうとしたシーンを思い出させた。近々、『ライ麦…』を自らの訳で刊行するという訳者の春樹も感じなかったろうか?

この物語を訳した春樹の思いにも連想する。「人間を描写すること」、「人は運命から逃れられない生き物であること」にあったろうか。

絶望を引き受けてなお

マイケルは、ゲイリーの死後十年以上が過ぎてなお、ゲイリーの処刑が特集にされたTV番組を見て驚く。世間では今もまだニュースの材料となっている。TVの画面の中であしらわれる、下品で悪意に満ちた番組の格好の材料となってしまっている。そのときに思った以下の記述がこの物語の本質をよく言い表しているように思う。

「その夜にこう悟った。僕はもともと継続する見込みのない家族に生れ落ちたのだ。そこには四人の息子たちがいたけれど、誰一人として自分の家族を持たなかった。誰一人として伝承や血縁を広めようとしなかった。……我が家に起こったことはあまりにも恐ろしいことである、それは僕らの代で終わるべきであり、子供を持てばまた同じことが起こってしまうのではあるまいか、と。その荒廃の息の根を止めるただひとつの方法は、自分を抹消してしまうことである。ある意味においては、それこそ、ゲイリーとゲイレンがやったことだ。彼らは自らの死をもって、血の流れを止めてしまったのだ。 そのような結論に達するのは──自分の中に地球上に継続されるべきではない何かがあり、自らの生命の存続を自らが許さぬ何かがあると感じるのは──たやすいことではない。そんな地点に辿り着いて、自分という人間とその将来の意味を悟ったことによって、僕の人生は変わってしまった。僕はもうかつての僕ではなくなってしまた。そしてもう二度と昔の自分には戻れないのだろう。ときどきそう考える。」

ゲイリーの死後十数年して書かれた本書は、絶望を引き受けてなお、生きてゆく可能性を探ろうとしたマイケルの物語でもある。

そしてまた、アメリカという国家の、愛、暴力、セックス、家族、宗教・・・らをも描き出している。

満足度:★★★★★


 

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