世界の中心で、愛をさけぶ

片山恭一(2004年刊 小学館)

2004.6.13読了 6.14メモ

小説が先か映画が先か

小学館

小説を映画化すると、一般的には成功しないケースが多いと思う。読者がそれぞれのイメージを持つ、読者の数だけ空想力や想像力の自由に広がる小説に対し、映画の場合は映像(や音声)が特定化されてしまう。原作が話題であればあるほど、「イメージしていたのと違う」という声が多くなる。

イメージを読者に委ねることが大前提の小説は、だから、原作者が容易に映像化を認めないのが常であるし、読者の側もそれを支持している。

今回の僕は逆に、映画に感動して原作を手に取ってみたのだが、結論から言うと、小説は今ひとつ面白く感じられなかった。映画を先に観ると、どうしても作中人物や光景に、映像のそれを重ねてしまう。本来、自分が自由にイメージを作り上げるはずの世界でなくなってしまう。そのこともあろうけれど、仮に映画を観ていなくても、それほど心が動かなかったろうとも思えた。

主人公の性格を変えた映画は成功

映画と原作とでストーリーが変わるのは当然で、本作についても許容しうる範囲なのであるけれど、意外だったのは登場人物の個性が大きく異なっていることである。

主人公のアキとサクの設定の仕方。先の映画評で僕は、「容姿端麗、頭も良くてスポーツもできて、学校一の存在の高嶺の花に、焼きそばパンをほおばる男の子の組み合わせがいかにも映画的」と書いた。けれども、原作の方は、アキはまあ、大体、その線をそれていないといえるけれど、サクは大きく違っている。原作のサクは「朔ちゃん」で、アキ以上の優等生のようである。会話の節々に鼻につくほどのインテリ感が漂っていて、嫌悪感さえ覚える。中学でアキを意識し、高校ではずっとべったりだった、2人だけの世界をつくりあげて、他をよせつけなかったと自身の語りで回顧されている。読んでいて、同性として嫌なタイプの野郎である。こうしたカップルは実際の学校にも一組くらいはいるものだろう、周りも嫉妬というより嫌悪感の方が大きくて彼らを遠ざける。

一方、映画のサクは、どこにでもいるような、ごく普通の高校生に設定されているから、観ている側も自然に共感を覚えることができる。そして、このアレンジが成功している。 それで思ったのは、男と女とで小説と映画への反応がそれぞれ、異なってくるかもしれない。僕が、小説の朔ちゃんに嫌な感じを抱いたように、非の打ち所がないといっていいくらいのヒロインに設定されている映画のアキは、今度は、女性から観て面白く思えないかもしれない。

シンプルさが支持される時代性

決して、悪い内容とは思わないけれども、『ノルウェイの森』を大きく超すほどのベストセラーになるほどのものとは思えない。300万部を超してなお、売れ続けているのが少し、不思議である。『ノルウェイの森』が話題になった当時も、ストーリーが美化され過ぎで非現実的、という批判的な声は多かったと思う。それでも、僕には、読んでいて放心状態になるくらいに心が揺さぶられたことは間違いない事実だった。他方、今、『世界で──』に心が震えないのは、僕の感受性が鈍ったのだろうか。つまらない大人になってしまったのか。それとも、これが時代というものか。

こうして、映画の後で原作を読むと、先に映画を観ることができて幸運だったと思えてくる。映画の出来の方がうんと素晴らしい。小説を先に読んでいたら、きっと映画を観に行こうという気にはならなかったろう。逆にいえば、同じように小説を読んで、それほど心動かされなかった人でも、映画はまた別に観る価値あり、とお勧めできるように思う。

元々、原作のストーリーはこの上なくシンプルで、それがゆえに空前のベストセラーになった。映画はその核心を外さないようにしながら、あとは映像独自の土俵に持ち込んでつくり変えてゆくことができた。換骨奪胎というと言い過ぎだが、映画は原作の主題と話題性をうまく利用して成功した、稀なケースではないだろうか。

満足度:★★★


 

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