山椒大夫

森 鴎外(1988年刊 新潮文庫)

2003.11.9読了 11.9メモ

お伽噺ではなく

新潮文庫

人買いという存在にも、何の理由もなく突然、親子が引き裂かれてしまうことにも、お伽噺と分かっていても日本の物語としては妙な説得感を持つ。そして、強く胸を締め付けられる。

お伽噺と分かっていても悲しくなるのだから、それが決して架空の物語ではなく、長い間知らずにいた、信じられずにいたことが現実に起きていたのだと知らされた昨年以降のこの国では、より悲痛さが身に沁みる。

色んなところで引用されているが、やはり僕も、この作品を読んでいてずっと考えさせられたのは拉致被害者の方達のことである。

「筑紫にいる父が恋しい」「佐渡にいる母が恋しい」と言っては泣き、泣いては言う姉弟の姿は、拉致被害者の思いと重なって、悲しさが胸を突き刺す。

宗教、犠牲、愛

同じく人買いにさらわれて潮汲みをしている小萩と安寿が仲良くなって姉妹の誓いをしたというくだりでは、きっと彼の国での曽我ひとみさんと横田めぐみさんが、そうだったろうと思いをはせずにいられない。

これほど短い物語で心に強く訴えてくるものがあろうか。

僕がこの物語を知ったのは、『安寿と厨子王』の物語として小学校に上がったかどうかの頃に読んだ童話集の中であった。幼い頃というのは一冊の本を繰り返し読むもので、特にラストの「安寿恋しやほうやれほ 厨子王恋しやほうやれほ」と雀を追う老母の姿を描いた挿絵のページが30年経つ今もなお忘れられない。

『山椒大夫』では、安寿の犠牲を経て母と息子が最後に抱き合うことができた。今、日本は、この問題の進展のないことにいら立っている。犠牲者のないことを祈りながら、一刻も早く結末のつくことを望んでいる。

11月の夕暮れは早い。寒さと暗さがあっという間に町を包む。11月15日夕刻、横田めぐみさんが忽然と姿を消して26年になる。

満足度:★★★★★

正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煮え返るようになって、獣めいた叫が口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。忽ち正道は縛られた縄が解けたように垣の内へ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏した時に、それを額に押し当てていた。

女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱え罷めて、見えぬ目でじっと前を見た。その時干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目が開いた。


 

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