「山月記」再び

偶然か必然か

5年前にエントリした「山月記」について、ブログ中に紹介していただけているページを偶然に見つけた。

ネット上のページであるから、常連の方も一見さんも毎日、沢山の人がこのサイトを通り過ぎて行く。当然、コメントや断りの必要もないのだけれど、知らぬところでこうしてあえて言及してもらえているのは光栄であり、また恥ずかしくもあり。

エントリした当時はまだブログも普及していない頃で、僕自身、不特定の人に読まれることを今ほどには考え過ぎずに書いていた(ゆえに昔の方が今より内容的にも純なところがある)。誰かに共感してもらおうとかなんて思いは全くなかったので、何か意外だ。加えてこの方はバイオリンを専業とされる方? ピアノ好きの妻ともそうだが、そういう世界にいる人らとクロスすることはないだろうと思ってきた点でもまた不思議だ。

ばいおりんといっしょ : おもいだしてしまった


そういうものかなとも思って再び、手にしてみた。

中島敦(1972年刊 旺文社文庫)

2008/06/18読了 2008/06/19メモ

5年の歳月

1972年旺文社文庫

5年後にこうして読むことになろうとは思わなかったが、きっとこの先、折に触れて何度でも読むだろう、今回はその必然の時期を偶然にも知らされたのだろう。

5年を経て、さらに骨の髄まで染み込んできた。5年の歳月が、年齢が、経験が感情を一層、震わせるようになったといえばきこえはいいが、一体、どこまでこの物語に我が心を灼かれ続けねばならないのか。いつの日か距離を置いて読める日がくるようになるのだろうか。

あらためて読むに、李徴の行動は、苦悩は、この5年、恥を顧みずにこのサイトで綴ってきた僕の思いに重なることばかりではないか。笑えるやら泣けて来るやら。そしてまた恥の上塗りになることを覚悟しつつ・・・。

かつての同輩はすでにはるか高位に進み、彼が昔、鈍物として歯牙にもかけなかったその連中の下命を拝さねばならぬことが、往年の儁才李徴の自尊心をいかに傷つけたかは、想像に難くない。

無論、俊才でもなければ詩業を志すほどの情熱も持たない自分の鈍物さも分かっている僕だが、ちょうどこの春、何ということのない平凡なレベルにおいてさえはっきりと昇任の遅れをとった。そして、それがもう挽回のしようのないない決定的な差であることも・・・を宣告され。

虎と聾と

それから、これは5年前には思わなかったことだが、李徴が虎に化してしまったことは、僕が聾になったことと大いに通じるものとして今回は胸に響いてきた。もちろん、聾者一般がでなく、あくまで僕個人に限定しての喩えであるが、やはりずっと以前、次のように自分で述べていた。

「言語」こそが他の生きものの獲得できない、人間だけがもつ唯一の特権である。飛べる-飛べない、泳げる-泳げない、走れる-走れないの差異は他の動物にもあることだが、「きこえる」ことで話し言葉を活用し、他者との関係を築いてゆけるのは人間だけだ。

こう考えると、「きこえない」こと、つまり、言語でコミュニケーションのとれない障害は、他の部位の障害と根本的に異なり、人間の存在そのものに大切な要素を欠いているということができる。乱暴な言い方をすれば、きこえない人間は、ヒトの部類に属することさえ危ぶまれる。そのことは、歴史上、聾唖者の置かれてきた地位、むごい扱いがはっきりと物語っている。

「きこえない人ときこえる人」/羊の本棚2002年

この物語は、特に作品を遺す、名を残す思いの強い芸術家に共通する宿命を描いたものだが、最近にも記したばかりの二人を思い出す。

彼は怏々として楽しまず、狂悖の性はいよいよ抑えがたくなった。一年の後、・・・ついに発狂した。

聴力を失って交響曲を書き上げた作曲家二人。「交響曲第一番」の著者佐村河内氏、チェコの国民音楽家スメタナ。人との交わりを避けるように自ら遁世生活を選んだ。両者とも素晴らしい作品は書き上げたものの、発狂を免れなかった。物語の中の李徴とは違う事情が加わって故であるのだが、「きこえ」の機能を失うことがどれほど人の心を蝕み、病ませるものか。

なぜ出て来ないのか

一行、一句ごとに胸に浸み、涙を抑えきれない。「なぜ出て来ないのか」と問う袁參に叢の影でしのび泣く李徴が応えていう次の行。

自分は今や異類の身となっている。どうして、おめおめと故人(とも)の前にあさましい姿をさらせようか。

まさしく我が身が変わってしまったことの嘆き、そして、かつての友との関係においてそれを曝すことがすぐには出来なかった思いがこのたった一行の文に凝縮されている。5年前に僕も記した。まさにそのせいで愛すべき友人との再会に躊躇ったまま、取り戻せない別れにつながってしまった。

自分ははじめ眼を信じなかった。・・・どうしても夢でないことを悟らねばならなかった時、自分は呆然とした。そうして、恐れた。まったく、どんな事でも起こり得るのだと思うて、深く恐れた。しかし、なぜこんな事になったのだろう。わからぬ。まったく何事も我々にはわからぬ。理由もわからずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きて行くのが我々生きもののさだめだ。

事故や病気や・・・でもなく、原因の分からぬまま降りかかった変化を、時間をかけて受け容れてゆく。宿命としてあるいは使命として。でも、さだめ(運命)と呼ぶにはあまりに厳しい試練だ。

李徴の場合、虎に化した運命に思い当たる節があるとして、人間であった時の「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のせいだろうことを認めて打ち明ける。

己はしだいに世を離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

李徴ならずとも人は誰しも自分の心に獣を飼っている、その弱みをえぐり取って普遍的であるがゆえに「山月記」が傑出した文学作品であるのだが、ここではあくまで私情に即して読んでいるとき、僕自身にも世を離れ、人と遠ざかる遁世生活に憧れの気持ちのあることを打ち消せない。『ライ麦畑・・・』でホールデンが唖(おし)で聾(つんぼ)の振りをして暮らしたいと語るように、また、そう語らせたサリンジャー自身の生活がまさしくそうであるように。

ただ、先の佐村河内氏やスメタナがそうだったように、この点については李徴のケースと違って、求めて人との交わりを避けたいのでなく、むしろ求める気持ちは人一倍に強いのに、それが叶わぬところに、また、かなえようとすると常に大きな失望が待ち受けている、この求めざる結果ゆえというところに聾者の嘆きがある。

社会との交わりに臆病になり、引きこもりがちになる聾者の少なくないことに、「どうして出て来ないのか」と簡単に責めることはできないだろう。

己はたまらなくなる。そういう時、己は、向こうの山の頂の巌に上り、空谷に向かって吼える。この胸をやく悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、あそこで月に向かって咆えた。誰かにこの苦しみがわかってもらえないかと。

山の頂で、海に向かって・・・叫びたい思いは誰しもにあるだろうけれど、ここもまた思い出した。障害者たちが自ら植林事業をはじめ、公園をつくった事例。「ときには他人に理解してもらえない苦しみも、公園に登ってきて、大空に向かって大声を出せば消し飛んでしまうだろう」という箇所が一番、心を打った本のことを。

わずか十頁の分量でありながら、読むたびに深く考えさせられるが、今回もまた、5年前に記したように、僕には、この物語が単に李徴の嘆きや虎に化した原因を教訓的に読み取ることが主題なのでなく、袁參という友を持てたこと、友の前では自分の弱みも醜さも苦悩も全て素直に吐露することが出来たこと、袁參がまた全てを引き受けてやれたこと、慟哭する李徴に涙を浮かべて意を汲んだ男気にこの上なく癒される。

満足度:★★★★★


 

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