朗読者

ベルンハルト・シュリンク/松永美穂 訳(2000年 新潮社)

2002.8.22読了 8.26メモ

ドイツ文学最大の成功

2001年刊新潮社

本書は「ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』以来、ドイツ文学では最大の世界的成功を収めた作品」と報じられたという、全世界で多くの賛辞を浴びた小説である。

そういえば、僕もドイツ文学を読むなんてほとんどなかったことだ。高校、大学の頃のヘッセ、ゲーテ等の教科書的にメジャーな数作品くらい。この作品については、川本三郎氏が新聞雑誌の書評その他、いろんなところで強く誉めちぎっていて、いつか読みたいと思い続けていた。書店で手にして買おうかという、寸前のところまでいった。

盆、実家に帰省して寄った古書店で偶然に見つけ、今度は迷わず買った。帰省中で時間もあったことから、昼下がり、すぐに読み始めた。評判どおり、ぐいぐいと物語の中に入り込んでいった。他に邪魔がなければ、一人であったなら、きっと最後まで読みきってしまったろうが、この日は半分を残して中断した。数日後、再び読み続けるまで、読みかけたストーリーの先が気になって仕方ないのと同時に、話の展開が最後に近付いてゆくのが怖いような気がした。軽々と読めない気分のそれである。緊張感を持って読まねばという覚悟を、自然に突きつけてくる書物であった。

初めての恋の衝撃

21歳年上の女性、ハンナと関係し、恋におぼれてしまった15歳の「ぼく」。
(以下、文中の「ぼく」は作品名での自称、「僕」は筆者)。

ところが、ある日突然、ハンナはぼくの前から姿を消し、あとに残されたぼくには罪悪感が残る。その後、大学に進んだぼくは、法学部生としてナチス時代に関連する裁判を研究していた見学中の法廷で、偶然、被疑者としてのハンナに再会する。ここからストーリーは一転、ナチの裁判という話にからんでゆく。 「あのころのことを思い出すと、どうしてこんなに悲しくなるのだろう?」とぼくは自問する。ぼくはハンナとの後に出会う女性とうまく関係を保てず、結婚生活も破綻させてしまう。ハンナと比べずにいられない。ハンナとの濃密で衝撃的な早熟の恋、それがぼくの美しい思い出としてそれ以後の女性を遠ざけてしまう。

多かれ少なかれ、誰にも最初の恋を乗り越えるときの辛さというのはある。ぼくにとっては最初の恋が、あまりにも強烈な、他に代替のない、ぼくと同じ年頃の通常起こるであろう恋愛の範疇を大きく超えたものだったのだ。状況が特異であればあるほど、その思い出は美しく、本人を後までずっと拘束して苦しめる。甘美な思い出としてセンチメンタリズムにふけるのではない。むしろ、ハンナは突然失踪するという謎と、そしてぼく自身に罪の意識と自責の念とを植え付けて残してゆく。それらによってぼくは苦しむ。ハンナとの恋に決着をつけねばぼくは一生、心が晴れることがない。ほんとうのところでハンナを理解したいと思うようになる。しかし、一方、過ぎてゆく時の重さの前では、決着がつく、ということもあり得ない、

戦争責任と世代間の葛藤

ナチズムについて裁くことがそうであるように、過ぎ去ってしまった時を前にして、人はどうしようもない徒労感と絶望に襲われる。

ナチズムとの関連性については、最初、あまりにも唐突で不自然さを感じさせもしたのだが、時代設定、ドイツという国を考えれば、納得できる展開であると、読み進めてゆくうちにきれいに消えてしまう。作者自身が現在、フンボルト大学の教授であるという。まさに第二次大戦末に生まれた作者の世代にとっては、とりわけ自分の親の世代との、戦争、ナチスに対する葛藤があるようで、それがこの小説の中にも表れている。「ぼくたち後から来た世代の人間は、ユダヤ人絶滅計画にまつわる恐ろしい情報を前に、実際何を始めるべきなのだろう? ・・・ぼくたちはただ驚愕と罪のなかで沈黙すべきなのだろうか?」 同じように敗戦国として日本に生きる僕たちは、祖先(父親世代)の戦争責任について考えているだろうか? ナチズムという極めて特殊な要因はないにしろ、日本にも同様に重い戦争責任はある。それらを自分のこととして考えたことがあるだろうかと思わずにいられない。

ストリクトで深い味わいのある記述

法学部学生としてのぼくという思いもあったのだろう。「犯罪者を愛したことが罪になるのだ」というぼくの心の呵責も、「彼女に関わらないわけにいかなかった、何かの影響を与えずにはいられなかった」のも、ぼくが法学部生であるがゆえのものであるはずだ。

自分自身だけを頼りに生きていたハンナ。欠かさず公判に通うようになったぼくは、やがて、ハンナが文盲であったという秘密に気付く。ぼくが気付いたように、「人を避けたり、拒んだり、隠したり、偽ったり、傷つけたりする態度の原因に羞恥心がある」ことは事実だけれど、裁判で罪の重くなることよりも、文盲の露顕をハンナは怖れていたのだろうか?

「文盲の人々が日常生活を送る際の寄る辺なさ」、「文盲であるということは、市民としての成熟に達することができない、ということ」については、僕もそうであるように、ろう者にも全く同じようなことがいえる。文盲とろう者の生活の困難さについても考えさせられる。ハンナはしかし、やがて文盲を克服しようと努力する。遅すぎた、人生の大半を失った後での戦いであるが、読み書きができるようになるとぼくが歓喜に満たされたように、文盲は努力で克服できる。

静かに進んでゆく描写がいい。最後の箇所には息を呑んだ。本を読んでいて、息を呑む、衝撃を受けるなんて久しくなかったことだ。それだけ、本書の語りには、読者を誘い込むものがある。限りなく主人公の目線に近づけ、主人公と一体化させるものがある。作者自身の回顧ではないかと思えるほどに、ぼくの記述に一体化してしまう。ドイツ文学らしくストリクトな記述である。

こうしてメモを記すためにざっと再読しただけで、再び考えさせられる。訳者も紹介しているように、二度読むことが勧められる本だろう。感情の細やかさや伏線が至る所に張り巡らされている。

満足度:★★★★★


 

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