難聴と恋愛と人生と

恋の逃避行

巻末に掲げられている参考文献だけでなく、当事者団体への取材、アンケートもなされたというし、また、記載はないけれど、ここ十数年のネット化で個人のホームページやブログ、掲示板でも難聴者の思いが赤裸々に語られるようになった、きっとそれらも参考にされたろう、著者は主人公に自らの性格を「ややこしい」と何度も語らせているのだけれど、障害ゆえにもたらされるややこしさ、面倒くささを一部ではあるけれど、よく見せてくれたと思う。

全てを網羅できないのは当然で、例えば職場のエピソードは少しあるものの、主題からはだいぶ遠い。

表現はすこしぼかした。もう少し斟酌なく言えば、職場での状況はかなりきつい。

と入社4年目にしていわせるその方が、目の前の恋の膠着より、難聴者にとってずっと深刻で最大の悩み事であるのだが、今回は深入りはせず。

もちろん僕も、これから長い人生、仕事のことがずっと大変だ、なんて野暮なことをいうつもりはない。偉大なる女性の先輩方も、耳に障害を持っての結婚、出産、子育て・・・の労は並大抵でないのよ、まあでも否応なく図太くなるのよ、なんて言わない(でほしい)。

若い青年男女には仕事の辛さを忘れさせてくれる恋が必要なんだ。仕事よりも何よりも「愛こそがすべて」の時間が人生の一時期にあってもいい。そうでないと、人生つまらないしね。

彼のことを好きであればこそ、自分に関わらなかったら普通の人生を歩めるはずの彼を、自分の終わりのない逃避行に付き合わせる訳にはいかない。

小説の冒頭で主人公が感想にしていた思いは僕も十代の頃からずっとそのとおりに思っていたことで最初から胸が痛んだ。そうでない、と言えるのは、その後の二人の関係にも出てくるが、引け目や負い目のない、ハンデのない者だからいえること。

しかしまあ、そうであっても人生、どう転ぶか分からない。転んでみるのも悪くない。

前回、言及した「四つの終止符」に比べるとどうしても作品に通じる甘ったるさが弛緩させてしまう、ライトノベルの域を出ないところは残念でもある。いい大人には「読めない」かもしれない。それから、読んでいて似ているな、と思い、ラストの終わり方でより強く確信したのが「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子)。障害を持つ女に大阪弁の健常男、という酷似した設定は著者も意識したろうか。

二人の共通の話題であった「フェアリーゲーム」のように、この作品がまたきっかけとなって難聴の青年男女が多く出逢うことを応援している。僕も老爺心ながら彼らの十年後がどうなっているのか、見つめていたい。


 

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