鴎外 闘う家長

山崎正和(1976年刊 河出文芸選書)

2003.3.16読了 3.16メモ

著者渾身の作

著者は、満州で迎えた敗戦一年目の中学一年という少年時代に、他に読むべき数少ない本の中から鴎外に出会う。その後、自身の留学中、同じく祖国の先人のたどった留学生の生涯の足取りをたどって見ようと、荷風、漱石、鴎外を読み込んでいたとき、自身が日ごとに感じる不安が、鴎外の作品の中にあらわれる主人公の表情に酷似していることを感じ取る。鴎外と心細さを分け合っていたように見えたことから、数年を経て本書は書き上げられた。

昭和47年(1972年)作。本作に続いて、山崎氏最高の名著(といっていいだろう)『不機嫌の時代』が4年後に出る。氏の代表作として一本挙げるなら、その席はわずかに『不機嫌の時代』に譲るであろうが、しかし、あとがきで著者が述べているとおり、本書こそが山崎正和氏の文学的出発点といってもよいだろう。

鴎外を肩に追って歩いたこの数年は、一日一日その重さが骨身に喰い入る生活であった。ふり返って楽しいような思い出はほとんどないが、私はその間、この重みを肩に感じることで自分の生きる腰構えを決めることができたように感じる。

まさに著者渾身の作と言っていい、みなぎる情熱が伝わってくる。

山崎正和という人、出会い

著者の作品を読むのは、出世作となった『柔らかい個人主義の誕生』、総合雑誌等に掲載された論文を集めた『自己発見としての人生』に続いてこれが3作目(『不機嫌の時代』がここ2年、読みさしのまま書棚で再びの出番を待っている)。本書は、劇作家、評論家として現代日本を代表する著者の若き出世作である。

著者には、書物以上に、新聞や雑誌上でその論説に触れる機会が極めて多い。総合雑誌で、毎日新聞の書評欄で、読売新聞お抱えの論客として・・・、とあらゆるところで目にすることのできる現代日本を代表するオピニオン・リーダーである。

僕が著者を初めて知ったのは、高校時代の国語の教科書で取り上げられていた何かの一節であると同時に、「日本文学史」上での位置を学んだことによる。

高校時代、現代国語の一環として「日本文学史」が各期の試験に一割の比重で出題されていた。授業で使用されるのではなく、「日本文学史」という副読本だけを渡され、毎期に一定の範囲から出題されていたものである。受験対策として、『更級日記』が平安時代の菅原孝標女によって書かれた作品であるとか、「田山花袋」の代表作『布団』が「自然主義」文学であるとかいう知識を詰め込んでゆくためのものだったが、これが僕には結構、面白かった。とりわけ坪内逍遥、二葉亭四迷から始まる近代文学に殊のほか興味をひかれた。

もちろん、『源氏物語』と紫式部は結び付けられても、その内容を味わうことのないまま、日本の文化に触れぬままに終わってしまうことが受験勉強の弊害であることは、指摘されるとおりである。

けれども、長い人生を思えば、文学史上における作家とその作品の位置付けを最初に知っておくこともそれはそれで悪くない。現に高校時代以降の僕の読書嗜好は、完全にこの「日本文学史」に沿ったものとなった。樋口一葉の『にごりえ』『たけくらべ』には何度か挑戦したものの歯が立たなかったけれど、二葉亭四迷や永井荷風を早い時期に読むといった偏向的な作用を及ぼされたり、と自分なりに明治の文学に浸っていたものである。おかげで多感な高校時代に海外文学に触れることが少なくなってしまった。もし同時に「世界文学史」というものがあったなら、もっと早くに海外文学にも多く触れていただろうとちょっと悔やまれないでもない。

そんなふうにして、このとき、山崎正和という作家を、そして『不機嫌の時代』や『劇的なる精神』といった氏の代表作の中に本書『鴎外 闘う家長』のあることを知った訳だが、その後長い間、純文学、娯楽小説に嗜好が偏り、また就職してからはせいぜい実用書、ビジネス書を読む程度になってしまっていた。僕にとって山崎正和氏との本当の出会いは、就職後27歳の時、氏を招いて行われた研修の講演緑を目にしてであった。今思えば、ようやくというほどの遅き出会いであった。

「日本文化 二つの伝統」というテーマのこの講演緑にほれこんでしまった。高杉晋作、伊藤博文、中原中也、種田山頭火らの先人を紹介して山口県人の特質、さらには日本人の中に共存する二つの国民性を話されたものだが、これが実に分かりやすく、読んでいて胸躍る爽快感をもたらしてくれるものだった。何度も繰り返し読み、ノートを取るように要所を書き抜いた。

氏の着眼点の素晴らしさ、見事な説得力にこのとき初めて触れたことで、その後、氏の名前を強く意識するようになっていった。日曜日の毎日新聞に掲載されている「時代の風」で数年前、氏が執筆されていたときは、氏の出番の週を楽しみにしていたものだ。以後、今に至っているが、氏の論説の鋭い着眼点と説得力にはいつも裏切られることがない。

漱石との対比

前置きが長くなってしまった。本書は上京時、神田の古書店で見つけて購入したもの。決して古書店でなければ入手できないものではなくとも、古書店での偶然の出会いというのが僕は好きだ。それもやはり、「日本文学史」で頭の中に残っているが故である。

一体、山崎氏は文学、政治、社会批評、文明批評と活躍するジャンルが極めて広い。そしてそれらのひとつひとつが実に正鵠を射たものとなっている。その明晰な展開には、一行ごとにうならされるといっても過言でないほどの濃密さの連続である。これほど、読んでいて充実感を覚える論客はそういない。

本書は、軍医総監にまで登りつめ、国家を背負って立つことを約束された鴎外を、一方でその属する家族にこそ特異性があるものと見て論証したものである。徹底的な検証がすごい。とにかく驚くのは、一人の人間を通してここまで国家と時代をあぶりだしてゆけるものか、ということ。普通に「鴎外」の文学作品を読むだけではうかがい知ることのできなかった深い世界が本書には広がっている。そしてそこに導かれる過程において、著者のまさに流れるような筆致で僕達に発見の喜びと驚きを与えてくれる。

鴎外を漱石、荷風と対比する妙がいい。鴎外と漱石が近代文学の双璧をなすことは言うに及ばず、ことあるごとに二人は対比されているが、やはり特に漱石との対比が興味深い。

僕自身も漱石が非常に好きだ。学生時代に主な小説は読破しようと頑張ってみた。全集を二つ揃え、今また時を見つけて読み返したい思いを強く抱いている。一方、多くの人がそうであろうように、漱石と比べると鴎外にはどうしても大きな距離がある。著者も指摘するように、鴎外という作家のもつ雰囲気は大衆的な親しみから遠い。

けれども本書を読むと、鴎外の意外なまでの家庭的な側面を知ることができる。一方で、よく知られたように、漱石は妻・鏡子との必ずしも積極的に愛情深い関係とは読み取れない夫婦関係、里子に出されていた幼少時代、金銭的な関わりを求めてくる係累・・・等、漱石を取り巻く家庭、家族には常に重苦しい雰囲気が漂う。鴎外と漱石と、対照的な環境がそれぞれの作品をもたらしたと思えるのが何とも興味深い。

鴎外と漱石の体質や運動神経について触れた点も異色で、興味深かった。

文学の弟子たちには父のように慕われた漱石だが、息子たちの目に映った彼(漱石)は暗い「自閉症」の殻に閉じこもった父親であった。人生にたいする彼の基本的な態度もさることながら、それに加えて彼の運動神経のつたなさが、二種類以上の気分を演じわけることをいちじるしく苦痛に感じさせていたことが考えられる。多様な社会の中で彼は自分自身のただ一つの気分しか持っておらず、そこから発する言葉が通じないことに耐えがたい疲労を覚えていたのにちがいない。家族にたいして自分を楽しげに見せることは、健全な市民の平凡な倫理だが、漱石はそれを知らなかったというより、それを支える肉体的な条件に恵まれていなかったというべきであろう。それにたいして鴎外には、健全な市民の平均以上に、さまざまな人工的な気分を演じわける感受性がそなわっていた。自分を快活な気分へと励ますことが彼には不思議に容易であり、いわばその能力にそそのかされて、かぎりなく「主人」の役割を演じつづけることが彼の宿命であった。

作家論は世にあまたあるけれど、運動神経にまで言及しているのは珍しいのでないか。鴎外の体質に対する検証が面白い。健康な肉体とそれに伴う運動神経、さらに語学能力の高さや会話の流暢さ等、意外なまでに多才な側面を持つ鴎外を知ることができる。

家庭の中における鴎外の態度をここまで推理し得る事に驚く。

ここまで徹底的に鴎外という人物を解剖と呼んでもいいようなほどの検証作業に感嘆せざるを得ない。これほど徹底的に鴎外の人となりをもちろん、筆者の最大限の尊敬と好意を持って描かれたものを読むと、漱石を好み、鴎外の作品には全く関心を払わずにいた僕も、路線を変えてもっと鴎外を知りたいと思わせてくれる。

旧字体、旧仮名遣い

文庫本化されている方がどうなのかは知らないが、昭和47年刊の本書は漢字や仮名遣いが全て旧字体で書かれている。当然ながら鴎外の作品をたびたび引用しているから、それに合わせる意味合いもあったろうか。ちょうど先月から福田恒在の『私の国語教室』を読書中であったし、当然、鴎外に抱くイメージが古典的なものであるから、読んでいて心地よかった。これは漱石を読むときも同じで、旧字体、旧仮名遣い、漢語のもたらす格調高さが旧い本にはある。

こうした書物が何の役に立つかと言われそうであるが、読んでいて充実感を覚える。生きることに勇気を与えてくれる。

満足度:★★★★★


 

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