日記をつける

荒川 洋治(2002年 岩波アクティブ新書)

2002.10.8読了 10.12メモ

「日記」論

岩波アクティブ新書

自分も日々、日記をつけている、今後も書こうと思っている者として目にとまり、また、著者が詩人の荒川氏ということにも興味を引かれ、今年2月の発刊当初に購入していたもの。大した量でもないのに読み終えられず放っておいたが、病院受診を待つ間の手持ち無沙汰にと持参して、ようやく読み上げた。

世に、日記について解説した書物はそれこそ無数にあるだろう。著名作家のそれを引用して、評釈すればそれなりにもっともな形に仕上がるという意味では、比較的、簡単に仕立てられるものだ。「手紙」についても同じだ。こうしたジャンルは確かな読者、固定ファンに支えられているから、類書はひきをきらない。今後もなくなることはないだろう。

本書も、基本的には様々な日記の引用に対する説明、評釈で展開されている。小学生日記、武田百合子、長谷川時雨、徳富蘆花、親のつける日記、樋口一葉、高見順、山田美妙、中勘助、そして、詩、俳句、エッセイにつながるものとして、横光利一、高浜虚子、幸田文、……などなど。もちろん、この国には遠く、『更級日記』、『土佐日記』等の優れた日記文学も残っている。多方面の日記、時代を取り上げて、日記の持つ普遍性と個性を引き出そうとしているねらいは成功している。

本書で特に印象的なのは、日記についての解説でいて、著者の詩人らしい素朴な人柄が何より伝わってくる点にある。努めてゆっくりと丁寧に解説しようとする。流れるように、走るように記述が続いてゆかない。時折、読者に立ち止まらせる。意識してかしないでか、詩人だけに見事な技術だと思える。

僕の日記遍歴

日記を書く人とそうでない人は、はっきり分かれる。僕自身でいえば、小中学校の「義務」(提出用)の日記を除くと、大学時代後半に約一年、万年筆を購入したきっかけで、ちょっと気取って書いてみるが挫折、就職後も挫折、パソコンに入力してみようとするも続かず挫折……、と「日記とは続かないものだ」とあきらめかけていた。

それが仕事にも慣れ、僕自身が失聴して自己を考え直すようになったからだろうか、30歳を前にする頃から、手帳に割と詳しく思いを記述するようになった。手帳のスペースなら気軽にどこでも書ける、その日のスケジュールとして記載されていたことに重ね合わせる形で書きやすく、この方法が意外に3年程度続いた。そして、年の暮れに読み返してみるのがとても愉しいことを教えられた。

自分で経験し、書いておきながら「そんなことがあったのか」と思うことが多い。喜怒哀楽の感情の波というのも、人間は簡単に忘れてしまうものであるとはっきり気付かせてくれる。その日の自分を反省し、今後に向けて素晴らしい決意を書きとめていても、その思いはいともたやすく、あっというまに消えてしまう。そんな愕然とさせられることが続いた。

「これはいけない。せっかくの思いが将来に活かされていないようではまずい」と思い、思いきって4年前に「5年連用日記」を購入した。ここから、その日の夜、机に向かって(あるいは旅先の宿でも)書くというオーソドックスな日記付けの習慣が始まった。そして、日記のもつ魅力がそうであるように、この行為は慣れてくるととても心地よい。2年目は前年のその日の自分の記述が読み直せる連用日記の効用も味わえてきたが、そうなると余計に、段々と書く量が増えてきて、1頁の5分の1の容量ではとてもおさまりきれなくなる。2年分のスペースを使ってもまだ足りず、年の途中で今度は大学ノートに転向(昇格)した。

ノートならば、分量を気にせずに自由に書ける。毎日の分量が決まっている方が不自然だ。大岡信が日経新聞の最終面(文化面)で「文房具が映す時代」(2000.12.24)として日記に言及していたことにも勇気付けられた。その後も鉛筆書きから、やがて再び購入した、今度は奮発したモンブランの万年筆に移り、ノートも変えたりと楽しみながら、おそらくこの習慣は今後は途切れないだろうというほど、大切な一日の一部として今日に至っている。

手帳と日記を併用せず、手帳だけの人は、活発ではあるが、内面生活をそれほど尊重しない人かもしれない。

日記をつけていると、自分の中の一日のほこりが取り払われて、きれいになるように思う。一日が少しのことばになって、見えてくるものも心地よいものだ。ぼくはその気持ちのなかに入りたいために、日記をつけるのだと思う。

著者のこの思いと同じ気持ちである。

「日記」本遍歴

僕が読んだ日記論で強く印象に残っているのは、大学時代に読んだ、確か、ちくま新書から出ていた『高校生の日記』(今、書店で見かけることはないから絶版なのだと思う)、『二十歳の原点』シリーズ(高野悦子)、そして、3年前に読んだ岩波新書『老人読書日記』(新藤兼人)の3作である。

『高校生の日記』は、当時、自分もまだ青春の真っ盛りにいただけに、取り上げられた幾人もの男女高校生のみずみずしい感受性に感動し、また、『二十歳の原点』では、同じ大学生であって、学生運動のさなかにあった著者の激しい生き様と、一方でバブル全盛期にある自分たちの何とも平和ボケした日々との差に魂を揺さぶられるほどの大きな衝撃を受けもした。新藤氏のそれには、書名に「老人」と冠しているのが、あたかも現代を強烈に皮肉っているかのような、氏の若々しい生き方に目を見張り、同時に力付けられた。いずれも「日記」本というジャンルを外しても僕にとって忘れられない、強烈な感慨を残した本である。

時に他者の日記に感嘆し、我のレベルに嘆きつつ、誰に見られるでもなく、ただ自分に向かって日記は書かれてゆく。

満足度:★★★


 

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