ねじまき鳥クロニクル

村上春樹(1994,1995年刊新潮社)

2006.06.04読了 2006.06.11メモ

12年後に再読

1994,1995年刊新潮社

今年のGWに、ふと春樹が読みたくなって、アフターダークを遅まきながら読んでみた。同時に、ならば、やはり、こちらを、と思って併読、再読してみたもの。

第1部泥棒かささぎ編、第2部予言する鳥編は1994年4月刊(第3部は遅れて1995年刊)。12年前のGWに読んでいた記憶の鮮明なのは、12年前の4月、5月が、僕にとって、自分の耳に残っていたかすかな聴力が日一日と失くなっていき、全てを失った時だったからである。病院に駆けつけることもできない。一日、一時間でさえ手遅れになりそうな状況にあって、次の診察が「連休明け1週間後・・・」というのに絶望と憤りの渦巻く心境であった。それでも出勤して仕事を片付けていたことが情けないやら笑えるやら。

そういった状況であったから、やはり、小説には深く入り込んでゆけなかった、全然、面白味を理解できていなかったのだな、ということが今回の再読でよく分かった。考えてみれば当然のことで、とりわけ「小説」的な本作を読めるような心境ではなかった。それでも、というか、だからこそだったのか、虚ろに文言を追い、ページだけをめくっていた。

今回、読んでみてようやく、著者にとって最も労力を費やした、数年もの時間をかけて書き上げた渾身の力作であることが納得できた。ひとつひとつのパーツが、エピソードが、次々に生み出される物語が、ありとあらゆるものが総結集している。「物語」を生み出す著者の力量にあらためて感服させられる。マルタにクレタ、ナツメグにシナモン、メイ・・・登場人物のある意味、滑稽なくらいの非現実性等、内容はSF並のフィクションとでもいえるが、それでも、人がどこかで期待する、心の内に願っている話として展開される。絶対にあり得ない、けれどもあってもおかしくない現実味を帯びている。「物語」に徹して、フィクションに徹して心をとらえる技量がすごい。

満州、ノモンハン戦をからませて間宮中尉を登場させる描写は本作の出色の部分である。歴史小説さながらに丹念に文献を基に、史実を踏まえ、そこに物語をつくりだして最も読み応えある。春樹作品中でも異色で、かつ白眉のものだろう。

間宮中尉のように、シベリア収容所で想像を絶した辛酸ほどではないが、僕もこの十数年でそれなりの人生の辛酸というものを舐めてきたことになるだろう。特に自慢できるような生き方をしてきている訳でもないけれど、一回り十二年の年月はそれなりに人に経験や価値観の蓄積をもたらしてくれる。胸に染み込んでくる、年をとって味わえるものがある。ようやく作者の意図するところに多少なりとも身を近づけて共感できる部分が増えているのだろうと思う。

あの頃

最近ではカフカ賞の受賞で、ノーベル文学賞の可能性が高まったとか、新聞や雑誌で村上春樹論が途切れることはない。海外での評価が(それを日本の読者が知ってどうなるものでもないと思えるのに)、新聞などで繰り返し掲載されている。元々、文体からして既存の日本文学を超えようとして登場した作者であるから、「日本の」作家という国籍性が薄れて「ハルキ・ムラカミ」で世界に通用していることも当然ではあるが、例えば、作者の戦史感も少し、うかがえてくる日中事変の描写など、最近、お互いに感情がおだやかでないアジア各国で、どう読まれているのかな、という興味もある。

先日の「AERA」(6/5号)が「昔の「春樹」に会いたい」という特集で、最近また『ノルウェイの森』以前の春樹を読みたがる中年世代、という記事があった。立ち読みしただけだが、僕もちょうど『アフターダーク』の前に、『中国行きのスロウ・ボート』(1983刊)を引っ張り出して読んだところであった。正直、『アフターダーク』には、期待するものが足りず、埋められない感覚があった。『ねじまき鳥クロニクル』でもそうだが、本作の面白味、評価の高さは理解しつつも、「AERA」が取り上げていたように、時々、「あの頃」を求めたがる自分が確かにいる。それも年をとることの宿命である。困ったものだ。やれやれ。

満足度:★★★★

僕は笑った。「君は君の歳にしては、ときどきものすごくペシミスティックな考え方をするね」

「そのペシなんとかってどういうこと?」

「ペシミスティック。世の中の暗いところだけを取り出して見るっていうことだよ」

ペシミスティック、と彼女は何度か口の中で繰り返した。

「ねじまき鳥さん」と彼女は僕の顔をじっと睨むように見上げながら言った。「私はまだ十六だし、世の中のことをあまりよくは知らないけれど、でもこれだけは確信をもって断言できるわよ。もし私がペシミスティックだとしたら、ペシミスティックじゃない世の中の大人はみんな馬鹿よ」


 

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