松井秀喜と七割の憂鬱

村松友視(2009年1月25日 日経新聞文化面)

2009/01/25読了、2009/01/25メモ

憂鬱が深いほど味のある男、松井

日経新聞最終頁の文化面、著名人の綴る日曜日はひときわ格調があって興味深い。今日は村松友視。

甲子園での松井のプレーや言動を見てからとりこになりゴジラ・ウォッチングを続けているという村松の含蓄深い持論が述べられている。

打者は打って三割何ぼ......あとの七割は憂鬱に染った時間である。だが、松井選手の憂鬱を透し見ると、そこに比類ない贅沢な味があらわれてきた。憂鬱が深ければ深いほど、その味わいはくっきりとしてくるのだ。私は、「七割の憂鬱」の醍醐味を、左手首骨折からの松井選手の姿から存分に吸収した。

七割の憂鬱
七割の憂鬱

村松には、松井が今期、ケガを癒して久しぶりに大爆発しそうだとの予感があるという。けれども一方で、村松はやはり「七割の憂鬱」の醍醐味を楽しみにしているのだ、とそう結んでいる。

憂鬱が「比類ない贅沢な味」であり醍醐味である── とはよくいったものである。当の松井がきいたら苦笑いする他ないだろう。

最初、僕も村松が何をいわんとしているのかすぐにはつかみかねた。部分的には分かるのだが・・・(単に僕の頭の働きが鈍いのだ)──。十回くらい繰り返して読んで納得した。

以前、松井自身、その著書「不動心」で左手首骨折からの復活を誓った。あるいは高校時代の五打席連続敬遠。松井の対応はどこまでもクソまじめで修行僧のようなところがある。巨人の四番、そしてヤンキースのプレーヤーという最高の道を歩きながら、世間の期待する華やかさ、ショーマンシップには欠ける。いささか面白味に欠けるところがある。

白紙の勧進帳を読む弁慶のような

けれども、それが松井なのであり、松井の魅力は「打てない七割」にこそ焦点がある、と村松はいいたいのだ。松井ほど七割に味わい深いものをみせてくれる選手はいない。そういわれてみると、確かに松井は喜んでいる表情より悩んでいる姿、とことん悩み抜く表情の方が印象深い。スターでいながら、どこまでもつきまとっている陰影があり、陰の離れない姿である。

これは僕の勝手な連想であるけれど、ちょうど姜尚中氏の「悩む力」がブレイクした、それを一番に体現しているのが松井といえないだろうか。

人間、誰しも順境にある時は調子がいい。でも肝心なのは打てている三割でなく、むしろ打てない七割の対応にこそある。逆境や挫折や不遇にあったときこそ人間の真価が問われる。例えば今の、底の見えない不況期にいかに対処すべきか。

「七割の憂鬱」に洗い込まれたあげく身についた華と風格

を示す松井の姿に学ぶべき点は大きい。村松を捉えて放さない魅力がそこにあるのだろう。

自分がコントロールできないことに出会ったとき、その人間の正体があらわれるにちがいない。この三年の苦渋の時間の中で、松井選手から伝わってきたのは、愚直ともいえる誠実さと、どのような状況においても、悠然と白紙の勧進帳を読む姿勢をつらぬく弁慶のような、大人びた華と風格だった。


この不況の中で社会人として生きようとする者は、誰しも三割という結果を目指しながら、「七割の憂鬱」に立ち向かわざるを得ない。そして、そこにあらわれる自らの正味の寸法と、いさぎよく対峙しなければならぬ宿命の中に、もちろん私自身も囲い込まれているというわけだ。

満足度:★★★★★


 

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