草枕

夏目漱石(1956年刊 岩波書店・漱石全集第4巻)

2003.6.22読了 6.22メモ

20年を経ての再読

草枕 (岩波文庫) (文庫)
岩波文庫

初めて読んだのが高2か高3の時。有名な冒頭の「山路を登りながらこう考えた。・・・」だけは覚えたけれども、今回読んでみて、これほど難解な内容であったことに驚かされたくらいだから、当時は当然、全く分かっていなかったはず。確か雲雀がどうこうということだけが頭に残っていた。ひばりに「雲雀」という漢字をあてることが当時の自分に面白かったのだろう。

注釈に割かれた量が本文の五分の一くらいになるほど、難解な語句だらけの小説である。途中からいちいち注釈をすべて見ることもあきらめたほどであるけれど、今回は途中でよみさしにして別の本に気移りすると、今度いつまた手にとって読み始める気になれるか分からぬ不安があったから、一気に読み終えた。

もう一つ覚えているのは、高校時代の国語教師のこと。

試験問題か何かの問題集でこの『草枕』が設問にあった。シェレーの雲雀の詩が出てくる、「春は眠くなる。猫は鼠を捕ることを忘れ、人間は借金のある事を忘れる。・・・」のあたりだったはずだ。当時、『草枕』の内容が難しいことだけは分かっていたように思う。どんな設問だったのかは覚えていないが、2人の国語教師にきいてみたときの反応だけが強く記憶に残っている。

最初にたずねてみた、クラス担任でもある男性教師からは全く要領を得ない返事がかえってくる。国語教師とはいえ、『草枕』がそう簡単に分かるものではないのだな、という思いを僕も一層強くさせられただけだった。けれども、次にたずねた女性教師が実によく理解していて、きっちりと説明してくれた。驚かされた。

この小さな女性教師は、男性教師のもつ威厳やにらみをきかせる怖さというものを当然ながら持ち合わせておらず、むさ苦しい男子クラスの僕らには、ちょっとからかって面白がる相手として格好の役回りというところの先生であった。美人で人気があったわけでもない。でも、他の男子がどう思っていたのかは分からないけれど、僕はこの『草枕』の一件があってから、この女性教師のことをものすごく尊敬するようになった。何をどう教えるのかとりわけ難しいものだと思う国語という教科で、教科書をなぞるだけの授業ではない、文学作品を本当に分かっている(きちんと読み込んでいる)ことの大切さを学べた気がして、大いに感動したものだ。

僕も教師になるなら国語が面白そうだなとその後、漠然と思うようになった。でも20年経った今、『草枕』を問われてきちんと答えられる自信はちょっと、ない。教師にならなくてよかった。

難解な芸術論

漱石はこの作品を『猫』を書き上げた直後に書いたのだという(『坊つちやん』は『猫』の執筆中に発表された)。ユーモアと風刺で包まれた、あの『猫』の物語があまりに長くに及んでしまった分、漱石はそうした諧謔趣味ばかりではない本来の自己をストレートに表したい欲求が殊のほか強かったのだろう。俳句、漢詩、英詩、東西の画、書......と、この作品には漱石のあふれる教養というか、趣味が全面的にあらわれている。本領発揮といったところで、気負いさえ感じられるほどに縦横無尽に芸術論が展開されている。

他分野にまたがる芸術に相当の域にまで通じていなければ、読んでいて作者と対話することのまず、できない作品である。漱石にとっては、この作品の主人公の心情のように、ただ自分で満足できればそれでいい、というつもりで書き上げたものだろう。およそ読者が理解できるかどうかなど意識することなく、難解な語句、漢詩、俳句を駆使して書き上げている。

僕の知力で解読しようなどということは到底できない。けれども、理解できないからと落ち込むこともない。そもそも、この小説には、小説本来の「筋」といえるものがない。小説というより随想集的な性格の方が大きい。だから、通読して理解するのではなく、面白いと感じられた部分があればそれで充分である。全体を理解できなくても、何がしか得られるところが部分的にでもあればそれで足りる。

この小説でも読書中、那美さんに何が書いてあるのかと問われて、画工にこういわせている。

「実はわたしにも、よく分からないんです」

「開いた所をいい加減に読んでるんです」

「小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。かうして、御籤を引くやうに、ぱつと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

この作品が読者に受け入れられないことを予想して、漱石がわざわざこうして配慮してくれたように思える。

ただ、「読んで理解されなくともかまわない」「自分の思いを吐き出しただけ」で書いたのだろうと思える一方で、「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。・・・」の書き出しは、『草枕』を読んだことがなくても、あらゆるところで引用されて日本人の身体に刷り込まれている。一度目にしたら(読んだら)忘れられない、リズムよい名文句である。これも、漱石にとっては計算済みのことであったか。

『三四郎』との比較

僕にとって今回、得られたことといえば、『三四郎』を読んだ直後だっただけに、読んでいて自然に気付かされる、『三四郎』との比較に面白さを感じることができたことだ。『三四郎』を読んだ直後だから、それと比べて思うこと、発見することの多いのに面白さを感じた。順序としては逆であるけれど、『三四郎』の後に『草枕』を読んだからこそ、ずっと昔の十代の頃には気づけなかった、作品同士のつながる道筋がはっきりと見えてきたことに新鮮な喜びを感じながら読むことができた。

この『草枕』の二年後に『三四郎』が書かれることとなる。先週、読んだ『三四郎』が読みやすく面白いと感じられたのは、それが朝日新聞に連載された新聞小説であることからもわかるように、漱石が小説家として生きてゆく気持ちを固め、読者を意識した物語だからである。そう考えると、自由奔放な『草枕』の筆致とは一転、『三四郎』がスローで慎重な展開になっていることもあらためて納得できる。

『三四郎』に通じると思えたものとして、漱石の「汽車」観がある。『草枕』の最後のシーンで、「汽車の見える所を現実世界と云ふ」として、漱石の汽車嫌い、汽車批判がかなりの分量を割いて述べられている。ラストシーンに至って、「汽車」がどうこうなどとは、物語の筋と大きく外れた、どうでもいいようなことである。物語の最後の場面においてでさえも、登場人物の動きよりも作者の持論の発表が優先されているのである。この作品の至るところで漱石の西洋嫌いが表れているのだが、自身が留学生として滞在していた英国で発明された「汽車」というものを余程、漱石が嫌っていたということが読み取れる。

これほど汽車嫌いの漱石が、けれども『三四郎』では汽車に乗って九州から上京するという設定で三四郎を登場させている。『三四郎』で、美禰子と三四郎の恋の物語に切り替わってゆく前、この冒頭で「西洋人は美くしい」という。また、「(日本は)亡びるね」といった当時の日本についての警句を発し、正面から日本という国家の行く末を論じている。文明論、国家論ともいえるような壮大さを見せている、この冒頭章が『三四郎』の中でも異色な、ある意味では最も特徴的な部分のシーンであり、それを『草枕』のラストから通じている汽車の中で語らせているというのが興味深い。

古典からのキーワードと強い女

他に、『三四郎』と『草枕』に通じるものと思えた点として、『三四郎』では旧約聖書の「迷へる子」、『草枕』では「あきづけば・・・」の万葉和歌と、ミレーの画いたオフェリアの溺死。引用された東西の古典から、作品を象徴する強いキーワードが配されている。

あきづけばをばなが上に置く露のけぬべくもわはおもほゆるかも

 「秋になると尾花の上に露が置く、そのはかない露のように、私の身も(恋のために)消えてしまいそうになります」の意。二人の男から求婚され、苦悩の末に投身自殺した娘とこの万葉和歌を組み合わせて、漱石が利用している。


それから、那美さんが『三四郎』の美禰子に通じる女性であること。

画工の入っている風呂に裸で現れたり、茶屋で着物姿を見てみたいと画工が言ったらしいことをききつけて夜中、振袖姿で画工の眠る部屋の向かいを往復してみたり、自分は(長良の乙女の伝説同様)鏡が池に近く身を投げるつもりだと言ってみたり、山中で前夫と会っている場面を画工にのぞかれていることを見通していたり・・・と、画工のことを先生と呼んで慕っているようでいながら徹底して挑発し、愚弄して、自分より年上の画工があわてふためき、とまどう姿をみて楽しんでいる。画工が三四郎ほどに悩まないのは、まだここではそれがモチーフではないからである。

那美さんに欠けているものとして画工が繰り返し指摘した「憐れみ」が、『三四郎』で "Pity's akin to love"の形で登場する。美禰子の態度にしきりに浮かぶように思えてならない「憐れみ」が、今度は三四郎を悩ませる。

「多くある情緒のうちで、憐れと云ふ字のあるのを忘れて居た。憐れは神の知らぬ情けで、しかし神に尤も近き人間の情である」

あるいは三部作(『三四郎』『それから』『門』)の序章として

「先生、わたくしの画をかいて下さい」という願いを受けて──あるいは請われなくとも──画工が那美さんを描こうとする。けれども、画工は結局、一枚も画けぬまま、当初の目的を果たせずに現実世界に降りてくることとなる。画工にとって那美さんは、画に落ち着く女性ではなかった。

『草枕』で結局、描けなかったこの肖像画が、『三四郎』で美禰子が原口さんに描かれるようになっている。『三四郎』の最終章、完成した肖像画として、つまり、最早、額縁の中に"おさまって"しまった美禰子を三四郎が見ることとなって物語を終えさせたのは、二年の時をおいて書かれる『三四郎』に結び付けるつもりの意図が、この『草枕』を書いていた当初からあったというよりも、案外、『三四郎』執筆中にふと漱石の思いついたアイデアではなかったろうか。

満足度:★★★★

山路を登りながら、かう考へた。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて画が出来る。

人の世を作つたものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向ふ三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作つた人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行く許りだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。

越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人といふ天職が出来て、ここに画家といふ使命が降る。あらゆる藝術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。


 

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