勤労感謝の日

絲山秋子(2006年刊 文藝春秋)

2007/05/23読了、2007/05/23メモ

奔放で磊落で

2006年刊文藝春秋

『沖で待つ』の同時収録。こちらが芥川賞受賞作品にはならなかったろうことはよく分かるが、奔放で豪快で存分に笑えるのはこちら。この人(著者)は普段が、こんな感じなのだなあ、という明け広げな‘素’がよく分かる。

36歳の婚期(いき)遅れの私が、恩人の紹介で見合いをするストーリー。ここでも相手の──というより、世間の──男性に対しての容赦ない言葉が笑えるし、またグサリと胸に刺さる。

何か釈然としない、何もかも釈然としない

けれども、受賞作の『沖で待つ』他の作品にみられるような、男性でも愛すべき身内意識を持てる仲間がこの作品には出てこない。その分、最後まで毒気が抜けない。癒しに欠ける。

それは主人公(著者)の置かれた状況が婚期遅れな上に失業中、という、心がささくれ立っているせいもあるんだろう。でも、誰にだって、そういう時期はあるもの。読んでいる内、「ああ、自分も同じようなもんだなぁ」と思えた。

いつも思う。社会をどんどん俗悪なものにしているのは私の世代なのだ。小学生の名前の変遷を見れば歴然と分かる。このクソ世代がやっていることが。

「それは否定し過ぎだよ」「そんなに物事を悪くとらなくてもいいんじゃないか」「言い過ぎだよ」って思えることが、この頃の自分もそうじゃないかと。

著者はバブル最盛期の入社で、でも死ぬ気で仕事をこなして身体を壊して、鬱と躁を繰り返して・・・というのが、一年前の朝日be「逆風満帆」に連載されていた。

お湯割りが欲しくなる、くぐり抜けてきたそんなときの体験を小説に書けるまでになった、善意ばかりでない世の中が分かっていて、見えていて、それをストレートに表出する本音に引かれる。

満足度:★★★

憧れなんて、これからだってないんだよ。もう、私達の額には「私は他の女とは違うのよ」という生意気な刺青が刻み込まれていて、何度顔を洗ったって抜けないのだ。それが二十二歳だったら良かったかもしれないが、三十五を過ぎたらただの扱いにくいおばさんだ。どれだけキャリアがあろうが、社会常識に長けていようが却ってそんなもんは徒になるだけだ。



 

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