帰郷

海老沢泰久(1997年刊 文春文庫)

2004.2.16読了 2.17メモ

印象的なラスト

帰郷 (文春文庫) (文庫)
帰郷 (文春文庫)

男と女の間の喜びと哀しみを描いた短編集。著者独特の硬質で研ぎ澄まされた文体が心地よく読ませる。いずれの作品も読み始めてすぐに物語の中に入り込んでゆける。すぅっと引き込まれ、早い展開に身を任せてゆける。夢中にさせられる。

ラストも特徴的。物語は完結することなく、突然に幕が閉ざされる。それまで夢中になっていたところで一方的に終わりを告げられる。続きがあるはずだと思って読み進めていると不意を突かれる。物語の続きは読者の想像に委ねられる。読後感としては何だか割り切れない複雑さも残るのだが、これも短編ゆえの醍醐味といえようか。

全編に吹く風

6作品の全編に風が吹いている。それぞれの季節の風がそよいでいる。通り抜けている。中でも、もっとも面白く読めたのは、タイトルにも表れている『夏の終わりの風』。

『夏の終わりの風』には、他の作品にない優しさがある。

嫉妬、苛立ち、とまどいや皮肉な視線のある他の作品──もちろん、それらも充分に魅力的である──に対し、『夏の終わりの風』だけには爽やかで心地よい風が終始、吹き抜けている。

また、他の作品で設定されている男と女が概ね若いのに対して、この作品の男女は若さが過去のものとなっている。かつて若い時期があったという郷愁、そして、今はどう方策をとろうにも若さは取り戻せない、若さの前には負けてしまう諦観を認めざるを得ない。そうした人生の辛酸さも嘗めた歳月がある年齢の男と女だからこその、深みのある内容に仕上がっている。

著者の作品で僕が大好きなのは『走る理由』という、これも短編集のうちのひとつなのだが、『夏の終わりの風』のラストで男と女がかわす会話には、『走る理由』のラストにも似ている優しさがある。

決してハッピー・エンドと捉えられるわけではないが、でも、やさしさが漂っている。ほろ苦さと優しさが入り交じって涙を誘う。ほろりとさせられる この作品だけは繰り返して読んだ。

著者はF1や野球といった、主にスポーツを対象に描いて一級のライター。本書の小説のみならず、ノンフィクションの分野でも活躍している。スポーツを愛する者には、著者の何気ない描写にも心がときめく。ぞくぞくさせられる。

満足度:★★★★

葛原亮子が住んでいる町には、あるプロ野球の二軍のチームが試合と練習に使うスタンドのない球場があった。外野の芝生はあちこちがはげ、内野には土埃が舞い、鉄柵やバックネットには錆が浮いていた。しかし、彼女には野球の球場といえばそこしかなかった。

彼女は夏のあいだ、そこで若い二軍の選手たちがリーグの五つのチームを迎えて試合をするのを見た。彼女はその町に二十年住みついていた。そのあいだ、選手たちの顔ぶれは年ごとに変化したが、彼らがやることは変わらなかった。汗と土埃で顔や手をまっ黒にしながら、白いボールを投げたり打ったりして夢中で点を取り合うのだ。彼女は草の生えた土堤にすわり、球場の向こうの川の上を渡ってくる風に吹かれながら、そういう若い選手たちを眺めているのが好きだった。

だが、いまは秋の風が吹いていた。外野の柵の後方に大きなケヤキの木が二本あったが、それがその風に揺れていた。葛原亮子は、夏がすぎて野球のシーズンが終っても、いつもすぐにはそのことを納得できなかった。夏のシーズンの印象があまりにもあざやかだったからだ。秋の風が吹いて、彼女は初めて野球のシーズンが終ったことをみとめさせられるのだった。

その風が吹いていた。


 

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