火車

宮部みゆき(1992年刊 双葉社)

2003.6.29読了 6.30メモ

ミステリー史の傑作を今

双葉社

初めて読んだ宮部みゆきの作品。

肋骨を痛めたことが分かってから、走ることもできない、出かけることもできない。こんな時こそ読書に没頭したいと思い、いつかまとまった時間があれば・・・と思い続けていた本書を念願かなって読むことができた。

「ミステリー史に残る傑作」という評判どおりの面白さで、冒頭から引き込まれる。

ちょうど強盗犯に膝を撃ち抜かれて休職中の本間刑事が、公務としてではない事件に深く首を突っ込んでいったのと同様、肋骨を痛めた僕も身体を動かせないつらさから逃避するように本書にのめりこんでいった。

本書は初版が1992年の刊行。バブルの崩壊が本格化した頃で、僕は仕事を始めて3年目だった。あの頃の独特の空気を今もはっきりと思い出すことができる。本書の作中人物が僕と同年代ということも、非常な親近感をもって読めた理由のひとつだ。

小説、特に推理小説においては、物語の中で「ふくらみ」と「集結」という構造を持っているといえようか。謎が広がり、そして解けてゆく。本書の「ふくらみ」は見事で、単線ではない複数の仕掛けのひとつひとつが実にうまくできている。その分、後半の「集結」はあっけないというか、もつれた糸が簡単にほぐれてゆくようで、ちょっと急ぎ過ぎでないか、と思えないでもない。既に充分な長編であるけれど、まだもっと、じっくり愉しませてくれてもよかった。

それにしても、構想の巧みさと人物描写の細やかさがこのストーリーを本当にリアルなものにさせていて、登場人物のそれぞれに感情移入してしまう。

幼なじみの保がそうであるように、被害者の近親者であれば、やりきれない憎しみを感じるだろう。一方で、一読者としては、追われる方の犯行者にも同情してしまう。犯行計画とその実行は見事だった。あと一歩だった。そして、ラストで話が急展開するように、一度ならず失敗した計画であるけれど、再びの、三度のチャンスもあったのだ。今度は成功させてやりたかったと思う。

多重債務問題

本書で圧巻だったのは、多重債務、消費者信用の問題について溝口弁護士が本間刑事に力説するシーン。

消費者信用という産業は、あっという間に膨れ上がった、化け物のように成長した業界である。この業界が一般に歓迎されて成長してきたものでないことは多くの人が認識しているところだが、日本経済の一角を占める所得を稼ぎ出す、もはや無視できない産業として日本経済を支える一つの業界となった。

サラ金の頃からその悪弊は指摘されてきた。「構造上の問題、金利の問題、行政の不手際、教育の不足、・・・」それらがからみあって、抜本的な改革を打ち出せないまま負の側面が綿々と続いてきている。

溝口弁護士はそうした現状をひととおり説明した後で、一見、納得して話をきいている本間刑事に、けれども彼の心中を見透かして、こう指摘する。

「色んな問題があることはよく分かった。でも返せない金を借りて苦しむのは個人の問題じゃないか。まともな人間ではないから、何らかの欠点、欠陥、弱点があるから多重債務を抱えるんじゃないか。あなたはそう考えていることだろう」──と。

本間刑事ならずとも、たいていの人のもつ自己破産に対するイメージはこんなところだろう。

そうではないのだ、と溝口弁護士は説く。相手のドライバーだけを責めて交通事故が解決するわけでないのと同じように、多重債務や自己破産も、本人だけに責任があるわけではない。社会の仕組みに関わる問題なのだ。溝口弁護士はこれもじっくりと本間刑事にいいきかせる。

何も特別にだらしのない人間が自己破産に陥るわけではない。自己破産が露見して婚約者の前から姿を消した関根彰子も、「ただ幸せになりたかっただけ」だった。

カネが人生を狂わせる

作者はかつて、消費者金融問題を専門とする弁護士事務所で働いていたという。本書は、当時の経験を活かした作者の必死の警笛でもある。

今、10年前に比べると、その後の不況も手伝って自己破産の件数は驚異的に増えてきている。それは、10年前、本書の刊行当時、「自己破産」という言葉に多くの人がまだ後ろめたさも持っていた制度が、今では社会的に抵抗無く受け入れられるようになったということでもある。その意味では、作者の訴えたかったことはベストセラーになった本書のおかげも多少はあったか、充分に達せられたのだろう。ただ、当然ながら、自己破産件数の急増は、第一義的にはその底辺になる多重債務に苦しむ人々が膨れ上がっているということである。最近では、そうした多重債務者の足元につけこみ、年利数百%~数千%という、最初から法を無視した暴利をむさぼる「ヤミ金融」問題も注目を集めている。

この消費者金融問題、僕は詳しくないけれど、ここ十数年でも金利制限や業者登録制についての法改正、法制定といったそれなりの対策はその都度、何度もとられてきたはずだ。そして今また「ヤミ金融」根絶の新法が制定されようとしている。自己破産者の再生を助けるべく、破産後に手元に残せる現金を大幅に引き上げる破産法改正案も出ている。それでも自殺や一家心中が止められない、この繰り返されるいたちごっこがいつまで続くのだろう。

僕自身も就職して数年は余裕が無かった(特殊な業種を除いては、新卒者の給与なんてそんなものだろうと思う)。情けない話だが、最初のうちは親から援助してもらっていた。友人からもよく金を借りた(今思うと、若さゆえの無節操が非常に恥ずかしい)。預金残高は無いのに、簡単にカードキャッシングができるのに僕も驚いた。僕の場合は、そのとき感じた無情な金利への怒りが、おかげで歯止めになってくれたけれども。

遅まきながら僕も、溝口弁護士の説明にこれまでの考え方を少しあらためさせられた。確かに、単なる浪費やギャンブルなどにつぎ込んだ遊興費が原因の自己破産者が少なくないだろう。今、芸能人が自己破産したり、銀行が破綻するのは、やっぱり見栄をはりたかっただけの個人の問題や、経営の問題が大きいはずで、そうしたものまで全て一律に救うことを許せる感情にはなれない。

それでも、全てが、決して間違って転落してしまった地獄ではない。誰もがやむにやまれぬ事情で踏み入れてしまう可能性のある泥沼なのだ。

例えば、ケガや病気で仕事ができなくなったら、職を失ったら・・・。

平凡な一市民の人生を狂わせる、金という魔物。これも同じ頃に青年コミック誌「モーニング」に連載されていた青木雄二氏の『ナニワ金融道』を思い出させた。

満足度:★★★★★


 

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