速すぎたランナー

増田晶文(2002年刊 小学館)

2004.10.10読了 11.03メモ

小学館ノンフィクション大賞受賞作品

いわゆる「ランナー本」を2冊、続けて読み終えた。自分が今、趣味として走っていることについては自然に興味がわく上、各地で駅伝やロードレースが活発に行われるこの季節になると、その気持ちも一層、高まる。

1冊は購入後、一年以上積ん読状態になっていた「速すぎたランナー」。著者を知ったのは初めてだが、意外にも著者はスポーツライターではない。ノンフィクション作家として多様なジャンルに挑戦しているようである。著者にとってたまたま、スポーツ、ランニングに題材をとったのが本作だが、それにしては非常によく出来ている。長距離競技のトレーニング論、肉体の描写、レース中の選手の胸中、心理描写、周囲の状況等がなまじのスポーツライターをはるかに凌ぐ迫力で伝わってくる。

原著「フィリピデスの懊悩」が第7回小学館ノンフィクション賞を受賞したというように、優れた作品である。スポーツライターでもない人がよくここまで書けたな、と感嘆するほどに。逆にいえば、スポーツライターでないからこそ、著者自身が相当に勉強し、丹念な取材を行ったことだろう。まず思ったのは、このことである。「ランナー本」は好きでよく読むから、僕もそれなりに分かっているつもりだが、本書は類書と比べても極めて質の高いものに仕上がっている。読み返してみると一層よく分かる。

男子マラソン低迷期の象徴

本書はスピードランナー、早田俊幸選手を追ったものである。

早田選手を一般に評するとき、「類い稀なスピードを有しながら、ついにマラソンでは開花しなかった大器」ということになるだろうか。初マラソンの衝撃的デビューからしばらくは高い評価を得ながら、いつしか“30kmまでの男”と揶揄されるようになった、30km過ぎでの失速、棄権を繰り返した、という印象が強い。

いうまでもなく、早田(以下、各選手名の敬称略)の場合、あまりに期待が大き過ぎた、そして、誰よりも強い可能性を秘めていたと周囲が認めていたがゆえの悲劇である。開花しなかったとはいっても、ハーフマラソンの国内最高(当時)他、特に駅伝では、前を行くランナーを必ず仕留める「ハンター」、「カミソリ早田」、「区間賞男」といった異名をとるほどの、ものすごい量の実績を残している。高校卒業後、鐘紡(現:カネボウ)に入社後、すぐに頭角をあらわした彼の活躍ぶりを挙げれば枚挙にいとまがない。マラソンでも1997年の福岡国際マラソンでは、中山竹通のもつ記録を12年ぶりに更新する2時間8分7秒の国内最高記録(当時)を収めている。

それから、もう一点、ついに勝てなかった、オリンピック出場を果たせなかっただけなら同情を集めたろうが、良くも悪くも早田が注目を浴び続けたのは、彼が鐘紡、アラコ、熊本陸協、ユニクロ、本田技研・・・と、度々、所属を変えた、度重なる移籍が彼のイメージを悪くさせてしまった点にもある。どうしても日本は、企業文化、組織文化の根強い国である。海外の選手に目を向ければ、国を超える、国籍を変える時代であるが、日本にいる限り、企業を飛び出すことはよしとされない。集団に属していること、従順であることが要求される。

日本の男子マラソンは、瀬古、中山、谷口に続くランナーとしてバルセロナ五輪で森下が銀メダルを獲得後の90年代、長い停滞期があったとされた。今でこそ、2000年12月の藤田選手の国内最高、さらに油谷、高岡選手ら多くの選手が続き、再び男子マラソンも復活したといわれるが、なお、オリンピックという壁は厚い。マラソンに求められるスピードの比重が、以前にも増して大きくなっている。

マラソンが一段と高速化しているとき、もし今、当時の早田が彼のスピードを活かすトレーニング、指導を受けていたら、と思わずにいられない。「男子マラソンの90年代は、期待を背負いながら力尽きたランナーたちの死屍が累々と重なっている。早田はその闇を象徴していた」と著者も述べているが、一人、早田の無念さと本人を責めて終わらず、早田を活かしきれなかった日本陸上界の無念さでもあると思う。

すぐれたマラソン解説書

本書はまた、早田を語るのに、その前後の、そして同時代のマラソンランナーの記述が非常に充実している。以前『マラソンランナー』でも述べたけれど、マラソンほど人間をあぶり出すものはない。その走りは、選手の生きざま、人となりとともに人々に記憶される。そうした意味で、一人、早田のみを語るのではなく、早田と対照的に、一般的に成功したと呼べるランナーがどういった人間であったかの記述にも多くの量が割かれている。瀬古、中山、谷口、森下、有森、川嶋らのエピソードがふんだんに散りばめられている。

さらに、「王者の系譜」として、田中茂樹、山田敬蔵、浜村秀雄、広島庫夫、中尾隆行、寺澤徹、君原健二、円谷幸吉、宇佐美彰朗、宗兄弟、瀬古・・・と連なる日本男子マラソン界の歴史も丁寧に説明されている。あらゆる箇所に往年のランナーの、また指導者のマラソン論、マラソン観が挿入されているし、中山、森下、金哲彦らの語る早田評は、彼らが同じトップレベルの選手だっただけに鋭いものがある。シューズや血液検査にまで言及されていて、本書は「早田」伝にとどまらない、優れたマラソン論となっている。類書で言えば、例えば高橋尚子本など、彼女の名前だけで売れる分、内容はスカスカであることも少なくないのだが、本書は先にも触れたとおり、著者が専門家でないことが逆に渾身の力を注がせていて、内容の深いものとなっている。

あとがきによると、著者はノンフィクション大賞受賞後も、内容に納得できず、さらに一年取材を続け、大幅に改稿したのだという。早田が何度ものレースに納得できず、夢を追い続けたように、著者も早田を追い続けた。それだけ魅せるものが早田にはあった。原題の「フィリピデスの懊悩」から単行本化されるにあたって「速すぎたランナー」に改められたのは、一般の読者に受け入れられるための版元の意向も働いたろうか(原題の意味の分かる人はまず、いない)。ただ、本書を読むと、著者が迫った早田の苦悩、「懊悩」ぶり、迷走の様子がよく伝わってくる。

果たせなかった夢

夢が果たせなかった、大成しなかった、というが、けれども、一体、何をして成功したかというのも難しい。早田の場合、オリンピックを目指しながらかなわなかったわけだが、オリンピックに出場した瀬古、中山、谷口も期待されたメダルには届かなかった。マラソン15戦10勝の瀬古でさえ、オリンピックではことごとく調子を合わせられなかった。不運が重なった。最近でいえば、国内最高記録を出した藤田、高岡でさえもオリンピック出場は果たせずにいる。

夢がかなうのはごく稀なケースである。期待されながら、いつの間にか消えた選手や引退した選手の方がはるかに多い。それが自然でさえある。早大、S&Bと名門を歩きながら、やはり、ケガで引退した渡辺康幸選手もその代表例だろう。その中で、早田はひときわ異彩を放っていたといえる。苦しみながらも走り続けた選手生活は意外に長かった。スポーツライターでもない、その専門でもない著者が早田という一人の人物を丹念に追ったこと自体が早田の魅力を如実に表している。何より、あの美しく華麗な走り、流麗なフォームは多くの陸上ファンの脳裏に焼き付いている。いつまでも夢を見させてくれた、「今度こそ」「次こそ、がんばってくれよ早田」「必ず次はやってくれるはずだ」と思わせた、これほど魅力のある選手はいなかった。早田自身があきらめきれなかったように、周囲もいつまでも夢を見続けた。

「そのフォームには、速く走るための機能美が集約されている」

「空気を切り裂いて走っている」

「早田がF1カーなら他の選手はファミリーカー」

「そのフォームは、人体の持つ躍動美を具現しているかのようだ」

早田ほど、「疾走する」「疾駆する」という言葉が似合うランナーはいなかった、といっていいのではないか。

満足度:★★★★★

早田俊幸という俊足ランナーは、いつも全身全霊を込めたスピードで走ろうとする。彼の足取りは、まるで別世界に向かって疾走しているようだ。行く先にあるのは、マラソンを早駆けするという異境の地なのだろうか。ひょっとしたら、このまま二度と戻ってこないのでは──そんな妄想を起こさせるほど、その走りは鬼気迫っている。


 

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