半落ち

横山秀夫(2005年刊 講談社文庫)

2005.09.25読了 10.29メモ

傑作、待望の文庫化

講談社文庫

帯には「日本中が震えたベストセラー 待望の文庫化」とある。「待望」の方は間違いない。僕も文庫化を待って購入し、ちょうど長崎で開催されたろうあ者体育大会への道中の友とした。旅に必携の本が面白いと旅程も愉快な気分にさせてくれる。

「日本中が震えた」の方は少し大袈裟か。映画にしろ本にしろ、キャッチコピーは過剰なもので、小説同様、映画の方も話題を呼んだらしい(僕はDVDにも日本語字幕の挿入されない映画の方は未だ観る機会持てずにいるため内容を知らない)が、少なくとも原作であるこの小説においては「泣き」の物語ではない。

主題は決して泣かせる訳ではなく、あくまでミステリーで、「なぜ」を追う構成の仕方の方に大いに感動する。朝日新聞の書評員である池上冬樹氏も、本書『半落ち』は横山秀夫の作品では『クライマーズ・ハイ』とともに<感動>の部類に入ると述べている(2005.9.18『震度0』の書評中で)。僕はちょうどその2作を続けて読んだことになる。

法にからむ男達の物語

本書は各章が作中人物の名前で構成されている。刑事、検事、新聞記者、弁護士、裁判官、刑務官の6名、6章から成る。作者の得意とするのが警察物語というが、ここでは罪や法に関係する職業にも様々なものがあること、そして、それぞれの立場では当然ながら異なる視点で対処することにあらためて気付かされる。6章の織りなす、6名の順に繰り広げられるストーリーは、普段、僕らが知り得ない、法務関係の内情というのが描かれていて非常に興味深い。

そして、『クライマーズ・ハイ』同様、これら男達の生き方が非常に熱い。作者自身、倒れるほどの過密スケジュールで次々に新作、話題作を発表し続けているように、仕事に熱い人物を描くのが作者の信条なのであろう。

作中人物の彼らが熱いのは、それぞれに少なからぬ挫折を有しているからである。これもまた『クライマーズ・ハイ』に共通する、組織の中で生きてゆくとき、本人の熱意や能力だけでは立ちゆかない部分。それぞれの組織で個を活かしきれない男達の心理的葛藤がそれぞれに共感を呼ぶ。

こうしてみるとき、主人公を取り囲む彼らは、いわば不完全燃焼である。熱く燃えたい気持ちは並々ならぬものを有しているけれども、ストレートには発揮できずにいる。組織の壁が立ちはだかる。体面や体裁やしがらみや面子といったものがまとわりついて、それらを振り切れない。

完全燃焼の生を求めて

一方の主人公は「半落ち」。自白はしたが、その動機が完全でない。ただ、本書のタイトルでありテーマであるところの、この言葉が想起させる中途半端な部分があるというよりも、主人公は生きることに関しては、むしろ完全燃焼している。燃え尽きて灰になってしまっている。ところが、灰になってなお、守ろうとしているものがある。秘密を有している。その秘密を暴こうとし、また、関わらずにいられないのが、6人の男達である。完全燃焼の男を取り囲んで、不完全燃焼の男達が躍起になる。作者が意識的に設定したのかかどうか、この対比が面白い。

漱石の例の「情に棹させば流される。智に働けば角が立つ。・・・」ではないが、主人公の「情」と男達の「智」といえるものがあるかもしれない。それと明らかに描かれているわけではないが、角の立つ男達はそれぞれが、情を心のうちに秘めて隠し持っている、頑なに守り通そうする主人公に惹かれているように読み取れる。それは、主人公の持つ秘密の中に、主人公の姿勢の中に、男達がそうしたいと願いつつも果たせないでいる、太く貫かれている信念を感じ取っているからなのではないか。

満足度:★★★★

核心へ切り込んだ、その時だった。

藤林は幾つもの強い視線を感じた。

佐瀬がこっちを見ていた。植村も。そして、傍聴席の志木も。

同じ質の視線だった。

脅しではない。懇願でもなかった。ならばいったい何だ?

藤林は息を呑んだ。

当てはまる言葉が脳を突き上げたのだ。

見守っている──。

そうなのだ。佐瀬も植村も志木も。敵も味方もなく、各々が立場を超えて梶を静かに見守っている。

・・・

私欲ではないというのか。弁護人も検察官も捜査一課の刑事も。

梶聡一郎という男のために。

ならばなぜだ。なぜ梶のために心を一つにできる?

わからなかった。

法廷の中に孤独があることを、藤林は初めて知った。

(余録)27日から読書週間ということで新聞各紙も読書特集を組んでいる。10月は走り込み月間でもある。何をするにも相応しい季節であるが、来年のカレンダーや手帳が並び始め、そろそろ年のゴールが気になる時期、2005年の「本棚」の収録の少なさが気になる。挽回は難しいが、せめて読んだ本だけでも収録しておこう。


 

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