自由生活(下)

難有り、毎日書評

自由生活 下
自由生活(下)

読書量はわずかでも、新聞各紙の書評欄に取り上げられる本は一応、知っておきたいと、購読している日経に、ネットでも見られる読・朝・毎の計4紙の日曜紙面はなるべくチェックしている。本作は先月10日の日経書評欄に関心を引かれて手にしたと前回、書いたけれど、これほど面白く、文学的魅力も十分な作品であると思えるのに一般大手3紙では記憶にある範囲では取り上げていない。

そう思っていたところに31日の紙面で毎日が取り上げた。

今週の本棚:井波律子・評 『自由生活 上・下』=哈金・著 - 毎日jp

しかしこれが一読、酷い内容。紙面における序列でいえば一番の位置にある名誉指定席で分量はかなり割かれているのだが、大半がストーリーの紹介。

僕はほぼ読み終えていたからいいが、本来、新聞の書評欄というのは注目の「新刊」をこれから読者に読んでもらおうと興味を持たせるはずのもの。それが学校の国語の授業のような要約でしかない。当然に、長編を読み進めてゆく中で興奮させられる物語の醍醐味が、見事に全てバラされてしまっている。

極めつけは「訳者も指摘するように」と断った上で「作中の○○は△△の暗喩」とまで全開していること。酷すぎる・・・。訳者あとがきは読み終えた読者が(普通)最後に読むもので、読後感を訳者と語り合うような、共感し合うような心地よい余韻の時間。まだ読んでいない(新聞)読者に作中の謎解きを読む前から明かしてどうするの? かつまた、訳者でさえあとがきの中でも最後に触れた事柄だったのに。読者の愉しみぶち壊し・・・。

ちなみに訳者あとがきは、これも一つの作品として素晴らしい内容となっている。今回の評者は、このあとがきからストーリーのあらましやその他やを都合よく利用して紙面に転載したようなものにしか見えない。

評者は三国志の研究で知られる中国文学研究者。その業績は素晴らしいのだろうけれど、この書評に関しては粗末なレベルじゃなかろうか。多忙な合間にちょっと書いた(から、あとがきから大半を失敬した)という感じで、作品に対する愛情や熱意ある推薦の気持ちというものが全く伝わってこない。

毎日(右)と日経(左)書評
毎日(右)と日経(左)書評

中国系作家だから評者が中国文学研究者というのも安易すぎる気がする。少なくとも本書は中国文学との関連は薄い。むしろ訳者がアメリカ文化に造詣が深く、ゆえに素晴らしい訳になっているように、どこまでもアメリカを舞台にした「英語」で書かれた物語ゆえの面白さ。中国系作家の作品だからとりあえず中国関連で有名な先生をあてがった、というなら新聞社の方針にも白けさせられる。

以前もカズオ・イシグロの短編集を丸谷才一氏がストーリーの紹介に終始していたことを述べたけれど(やはりこの第一指定席欄で)、最上席は重鎮に弁をふるってもらうものと決め付けず、大御所の名前にとらわれず、無名でも肩書きはなくとも「書評」に情熱のある、本当に一般読者に読ませる気にさせるような内容であってほしい。結局のところ、新聞社も内容までは管理し得ない、とりあえず評者の名前で担保させたい事情なのだろうが。

下巻、加速させられる興奮

気を取り直して(笑)──

上巻はゼロから物語を説明する要素が必要だったけれど、それが落ち着いた中盤以降の下巻は、主人公の心情に深く切り込んでゆく。途中、本筋に何ら関係ない描写も度々、織り交ぜられるのさえ、物語の幅を広げているようで、長い物語に飽きるどころかますますのめり込んでゆく。興奮させられる。

予想以上に、期待をはるかに上回り、骨太で力強い、読んでいる人間を熱くさせる物語だ。主人公が移民として苦労するだけでなく、棄てたくとも母国中国の政治思想体制から逃れられない立場であること、中国とアメリカの間で板挟みになるアイデンティティの悩みや葛藤が生々しく綴られている。

自分の弱さを認め、時に恥じ謝罪しつつも、どこまでも強い意志で真摯に自分のアイデンティティを模索し、人生を生きようとする主人公。主人公を取り囲む中国の友人やアメリカで出会った知人らを通して、彼らと対比させて主人公の生き方を際立たせている。小説だから全ては主人公を引き立たせるための構成、といってしまえばそれまでだが、渾身の力を込めて作者が理想の姿を、自身の歩みを投影したかのような、気負い過ぎなくらいの主人公の生き方がすがすがしい。

著者は米国に帰化して現在、大学で教鞭を執っている、アメリカ作家として輝かしい活動をされている身。世界中で読まれる英語作品としては無論、特に母国中国の体制側と中国本土にいる中国人に向けたメッセージであり、込められた啓蒙の意図も強いのだろう。

孤独を引き受ける

その内容ゆえに著者の作品は中国本土では発表されていないというが、いつかその情報統制をさえ破り、主人公の生き方が中国人の心を動かし、本土でも支持されるような日が来るだろうか。

政治を動かすのは人民であり、人々の心を動かすために文学の力を信じて精魂込めた著者の熱意が胸を打つ。

単なる移民か難民のような自分の声など、いったい誰が聞き取ってくれるだろう。自分のような人種はいわば"雑草"で、虫けらや草のように生きては死に絶えていくだけだし、母国に暮らす者たちにとっては、何ひとつ関係のないことだった。中国本土の人間にとって、自分たちはもはや消えたものとしてみなされていた。ある政府高官が、海外に住む中国人に対して、先日こう宣言したのも頷ける。「真の愛国者になるには資格がいる」。つまりそれは、中国にとって必要な人材は、自国の経済や技術的発展に大きく貢献する者に限るということだった。こういった問題について考えれば考えるほど、ナンは不快になった。それと同時に、自分の存在を規定する移民という人生を、彼は積極的に受け止めていた。それでこそ、自分ひとりの足で立つ人間になれるはずだ。自分たちの家族を受け入れ、新しいスタートを切る機会を与えてくれたこのアメリカという土地に、ナンは感謝せずにはいられなかった。


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ナンはディックに電話して、家族と一緒にいることを優先させたいから、やはりそちらへ行って勉強をするのは難しいと伝えた。それを聞いたディックは、41歳になる君にとってそれは莫大な損失だと言った。今のうちに何かを犠牲にして詩作に集中しなければ、その歳ではもはや才能を伸ばすのに、手遅れになるということだった。ナンはそう言ってくれるディックに感謝の気持ちを述べたものの、決意は固かった。これを機に自分は何もかも人を頼らずにやるしかないし、いつでもファンに囲まれている有名な詩人ディックとも、徐々に疎遠になっていくんだろうと感じていた。それは言い方を換えれば、孤独を引き受けることでもあり、聴衆もいないのに詩を書き、虚無に向かって語りかけることを意味していた。

満足度:★★★★★


 

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