政治的関係性

上農正剛(2003年刊 ポット出版)

2008/11/01 終章、あとがき読了、2008/11/01メモ

加害者の実態から

たったひとりのクレオール―聴覚障害児教育における言語論と障害認識
たったひとりのクレオール

最終章はヴォリュームある本書の構成を振り返る形で、今一度、障害認識論について言及している。そして、ナチスの虐殺を「加害者」の状況から研究したヒルバーグのアプローチを引いて、聞こえない障害についても同様に、何より大事な問題が「なぜ私たちは「聞こえない」という身体に対してそうした対応をしてきたのか」と障害を名指しする者から発信される障害観の問い直しなのだとして締めくくっている。

面白いなと思ったのは、注釈で「政治的「関係」性の中にいる」という言葉が使われていること。

自分では普段、そういう文脈で使うことがないだけに、けれども、いわれてみると、なるほど言い得て妙だな、と思えた。

すなわち、同じくきこえない、きこえにくい者にあっても思想、主義を異にする対立や軋轢や・・・があること。外から見ると一つのグループのようでいて、実は驚く(あきれる)くらいに団体や組織が乱立していて、決して一枚岩でないこと。

教育論を巡る議論が感情論的な対立にもなりやすい、と先に書いたように、それはやはりこの障害がアイデンティティと密接に関わっているから。

どの団体(グループ)に属すか。その中でさらに派閥やシンパがあって、帰属心、忠誠心、貢献度・・・を常に問われるだろう。あるいは全く属さないか。うまく間を泳ぐタイプもいる。人の集まる集団、どこの世界にもあることではあるけれど、そもそもがアイデンティティの確立に格闘させられる障害であるから、それがかえって、同じマイノリティでありながら、相手との差異を認めず、差異を攻撃することで自分(達)の立場を守ろうとする場合が少なくない。

もちろん、ゆるやかには横断され、手を組むけれど、狭隘で偏向な考え方の持ち主のいることが少なくない。色んな考え方、主義があっていい。乱立していてもいい、けれども、相手の立場、考え方を認めず、寛大さを持ち合わせず、とかく「絶対」を求めて対立しがちなのは、この障害の悪しき点だろうと思う。

著者自身、まさにそうした政治的関係性から批判も受けていよう。旗印を明確にすればするほど、また、どうしても目立てば嫉妬ややっかみも生じるだろうから。本書に対する批判も多々あろうし、今後も議論を引き起こすだろう。けれども、何よりやはり、著者の真剣な態度は支持される。立場はどうあれ、熱意ある誠実な態度を心がけたい。尊重し合いたい。

ヒルバーグはその大量虐殺(ホロコースト)の研究分野で前人未踏の極めて貴重な仕事を残した研究者である。

自伝を読むと、その間、経済的苦境と出版に漕ぎつけるまでの度重なるトラブルがあったことがわかる。しかし、彼はまったく怯まなかった。文字通り、不屈の姿勢で粘り強く研究を進めた。彼を支えたのはたった一つの想念であった。それは「なぜあんなこと(ホロコースト)が起こり得たのか」というきわめてシンプルな疑問であり、それを自分なりに納得したいという思いだった。

満足度:★★★★


 

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