足元の革命

前田和男(2003年刊 新潮新書)

2003.11.29読了 11.29メモ

ウォーキングシューズの誕生ストーリー

1983年、日本で初めての本格的ウォーキングシューズ“ペダラ”をつくったアシックスチームの開発ストーリー。

前半は「プロジェクトX」的に、開発チームの苦労を振り返る形で、誕生までの経緯についての説明がなされている。後半は、「歩く」ことの少なくなった現代日本人の足の変化、とりわけ子どもの足に異変が起きている状況に警笛を鳴らしてウォーキングの効用を説く。

今、ウォーキングは大きなブームになっている。健康志向の高まりから、街中や公園を「散歩」としてではなく、フィットネスとして、エクササイズ、軽スポーツとして颯爽と歩く人達が増えてきた。今でこそ「スローライフ」と声高に叫ばれているけれど、それを今から20年前、既にペダラ開発チームは提案しようとした。高速度化するばかりの社会から、「歩くことを通して人間性を回復する」というライフスタイルへの転換という試みを新しいシューズに託そうとした。

脱「アシックス」でライフスタイルの転換を提案

いうまでもなく、アシックスは世界的なスポーツ・メーカーである。とりわけマラソン、陸上等、スポーツシューズの分野において、「速く」を極限まで追求してきた、その高い技術が世界で認められている誇りを持つアシックスが、一方で「低速社会のすすめ」を目指したところが面白い。販売にも「脱アシックス」路線がとられた。「アシックス」のブランドを利用して販売をすすめるのではなく、あくまでも新しいスタイルのシューズとして市場を開拓してゆくために、「アシックス」を前面に出さない手法が徹底されたのだという。

実は僕も、“ペダラ”を知ったのは本書を読むわずか前のことである。アシックスがウォーキング・シューズをも販売していることは以前からおぼろげに知っていた。ランニング好きの一人として、日常的に行くスポーツ店でも、シューズコーナーの一角に、軽ハイキング的な黒っぽいシューズの陳列されている棚があることも目にしていた。自分では、「走る」だけでなく、日常的に靴には結構、気を遣っているつもりでもあった。それでも“ペダラ”という商品名と、アシックスが結びつくことを知らずにいた。

それは、発売当初のターゲットは20代、30代男性であったけれども、そうした若者には全く受け入れられず、中高年に支持されたこと、その後、中高年層向けに力を集中して今に至っているというのと同じ理由だと思う。今でも同じ状況だろう。普通、10代、20代の若い男性は、履き心地よりもデザインを重視する。バスケット・シューズ、ランニング・シューズ、テニス・シューズをスニーカー代わりに街履き用にすることはあっても、「ウォーキング」用と名づけられたシューズを進んで履くことはない。年寄りくさくて敬遠してしまう。

わずか20年で、ウォーキング・シューズ市場を進化させた理由を著者は、“ペダラ”という商品がライフスタイル提案型商品であったこと、理念を形にできる技術があったこと、伝統やしがらみから自由であったことに求めている。もちろん、“ペダラ”のみならず、後にこぞってこの市場に参入した他メーカーとの競合によった面も大きいだろうが、確かに、「靴は革靴、本皮こそ正統」という考え方から、今ではゴム底が違和感なく受け止められるようになった時代の変化をみるとき、先駆者としてのペダラの功績は大きい。

革靴の普及ブランドといえば、リーガルだけれど・・・

本書の中にある、ペダラが発売されて6年目の1989年に「反ペダラ・キャンペーン」を張った紳士用革靴トップブランドとはリーガル社のことだろうか? 確かに、ペダラとは対極の位置にある、重厚な硬い革靴を送り出しているのがリーガルであり、当時からビジネスシューズとしてもカジュアル系でも、リーガルを選んでいれば、まず間違いのない選択であった。僕自身も学生時代からずっとリーガルを履いて今に至っている。営業マンのように外を歩くことがほとんどない内勤だから、通算5足はかなり少ないだろうが、学生時代からなおまだ履き続けているローファーさえある。モノ持ちがよいというか、捨てられないというか・・・。

僕もリーガルの良さは認める。ずっと履いてきた愛着もある。磨けばつやのでるのが革靴のいいところで、手入れを怠らなければ、新品よりも年数を経た方がむしろ輝いている。リーガルもその後“リーガル・ウォーカー”やオブリークタイプのシューズを売り出すようになった。それらを僕も試しつつ、けれど、30代後半のこの年齢になってやはり、少々、リーガルを履くことがきつくなってきた。スタンスミス、カントリー、スーパースター・・・といったアディダスを履き続けてきたスニーカーも同様である。ランニングを趣味にすることで、それでなくとも足を相当に痛めつけるようになった、足が一回り大きくなった(腫れあがった?)こともあり、リーガルやアディダスの見た目やブランドよりも、少々かっこ悪くても機能を求めるようになった。若いときには難なく履けたシューズが、今では履けなくなってしまっている。

それでシューズショップに出向いて、ウォーキング・シューズを物色したのが、20年の歴史をもつペダラを遅まきながら知ったきっかけである。今では、ペダラ、ワラッジ、サルティス・・・といった商品も出ているらしい中の数足を試してみて、なるほど、いずれも悪くない履き心地であることを実感した。

ただ、ペダラシリーズも悪くなかったのだが、僕が走る人間であるせいか、結局、このとき購入したのは、ペダラ以上にもっとがっしりしていて、しかも安かったニューバランス社のトレッキング・シューズであった。

左足主軸論

ペダラ誕生の経緯以上に、本書で最も興味深く読めたのは、中ほどに記述されていた「左足主軸論」。この部分は著者の論説ではなく、足研究の第一人者であった平沢弥一郎氏発表論文の引用となっているのだが、ウォーキングよりもランニングに興味のある者には殊に面白く読める。

平沢氏は、福岡国際マラソン3連覇を成し遂げた──今ではアシックスのランニング・ウェアブランドにもなっている──フランク・ショーター氏が走っているとき左のパンツが下がってゆくことから気付いたという。右利き、左利きに関係なく、一流のアスリートほど、左足をメインに、右足はサブ的に使っているという研究結果らしい。子どもの靴下の汚れをみて、左足の方が汚れていたら元気に遊べている証拠なのだとも。

ウォーキングにしてもランニングにしても、左右のバランスが取れていることが一番、大事な要素だと僕は信じ切っていたから、この論には驚いた。人間、完全に左右対称(シンメトリー)な人は少ないはずで、誰しも、程度の差こそあれ、アンバランス、アシンメトリーを抱えている。僕もものごころつくようになると、顔付きからして、目の位置、目の大きさ、耳の位置や視力、聴力・・・といった身体的機能に左右で違いがあることを気にするようになった。それらはともかく、特に走るようになってからは、左右両足のアンバランスさが記録やケガに影響を及ぼしているはずで、この左右のアンバランスをどうにか矯正せねばいけないものとずっと思い続けてきた。左右のバランスがとれていることが良いことだと信じて疑わなかった。

僕は子どもの頃から野球が好きだったせいか、右手と右足が長い。左足よりも右足が大きく、また、とりわけ右足が外に開く(流れる)。スキーのターンは左はスムーズにできるが、右はぎこちない。股関節から膝、足首の関節の向きや柔軟性が左右ではっきりと違っていて、スラックスを履いた時に右の裾はライン(折り目)が真っ直ぐに降りてくれない。不恰好に外側に流れてしまう。昨年から、右足だけアーチがつぶれて偏平足にもなった。靴下もシューズも右足の方が痛みが激しい。

残念ながら僕は、トップアスリートになれない「右足主軸」タイプなのかなと思ったけれども、強引な考え方によっては、これも左足を主軸にしているせいかもしれない。靴下やシューズの痛みは、走っていて右足がうまく回らないから左足に余計な力がかかっているのだ、ともとれる。左足はスムーズに足を運べるという意味で、左足がメインの側として引っ張っているのかもしれない。

トップアスリートとまではいかなくても、自分でこう思うことにすると、また、一流ランナーの左右にも差があるということを知ると、アンバランスさの悩みからも少し解放されそうだ。

満足度:★★★


 

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