浮世の画家

カズオ・イシグロ/飛田茂雄訳(2006年刊 ハヤカワepi文庫)

2009/05/05読了、2009/05/06メモ

My best favorite novelist

浮世の画家

滋賀へ強化合宿へ出向いていたGW中の、もう一つの有意義な成果が久しぶりに一冊の本を短期間に読み切れたこと。読書の一番、はかどるのが移動中と思う自分にとって(=あくまで個人的に)、出かけるのも久しぶりのことで往復の新幹線車中に読了。

著者の作品を読むのは「わたしたちが孤児だったころ」、「わたしを離さないで」に続けて3作目。順序は前後するものの、どれも期待を裏切らない。カズオ・イシグロの緻密で繊細な、たとえ日本語訳にトランスレイトされても失われない文学としての質の高さを存分に堪能することができる。読書という行為の満足感に幸せな時間に埋もれることができる。

懐石料理のような、というとおかしな喩えになるけれど、日系人であるがゆえにそう思いたくなるほどの、細やかな情の揺れ動きを描くのが実に上手い。間違いなく今の自分にとって一番、好きな作家である。

文学としての評価が高いといっても好き嫌いは分かれるかもしれない。「わたしを離さないで」が万人に支持されるかは疑問であるけれど、エンターテインメントに物足りない人に、カズオ・イシグロの描く独特の世界、懐古的、耽美的な──振り返る過去が美しいばかりでなく──、弱者や少数者や何かしら傷を持っている立場の者の心の陰影の叙述に共感を覚えることは少なくないはず。単に僕が年をとったせいかもしれないけれど。

アイデンティティーの追求

僕自身が強いシンパシーを持って作品に入り込んでゆくのはやはり、小野正嗣の解説で指摘されているように、著者が揺れ動くアイデンティティーの追求をモチーフにして心のひだや感情の機微をどこまでも深く探ってゆくからだろう。そうした同類の小説はあまり見かけられないだけに余計に。

アイデンティティーの追求という、青臭いテーマと一蹴されそうな、けれども本当に向き合おうとすると自分の弱さや狡さや醜さといったことも直視しないといけない、辛くてもその行為を避けずに、なおかつそれでも真理や善に向かおうとする苦しい作業を厭わない、その勇気ある姿勢を著者の中に僕は見出すことができる。


イシグロの語り手たちはみな、身辺に起こった過去の数々の出来事を、「語る」ことによって再構成しようとする。


私たちのいまのこの瞬間の「自己」は、過去における「自己」との「連続性」によって構築されているという確信である。自己同一性(アイデンティティー)とはこの「連続性」のことである。


過去を問い直すことの根幹には、アイデンティティーの探求が必ず含意されていると言える──イシグロ作品の「語り手」たちがやっているのは、いつもこれなのである。事実、柴田元幸氏のインタビューに答えてイシグロは「今の自分は何者なのか? そう問い続けなくてはいけない」と言っている。

満足度:★★★★★


 

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