アフターダーク

村上春樹(2004年刊講談社)

2006.05.03読了 2006.05.04メモ

遅れ出した追っかけ

2004年刊講談社

1年8ヶ月前の刊行。以前は新作を楽しみにしていた、刊行されるやすぐに買って読んだものだが、純粋に「読みたい」という気持ちがわかないまま月日が去っていった。熱が冷めてきたのかもしれない。以前は同年代の主人公に憧れ、共感した日々。けれども、近頃では主人公がはっきりと自分と違う若い世代に変わってきた。これからもおっかけを続けられるかどうか・・・。

「この連休用に何か1冊は」と考えていたとき、12年前のGWに『ねじまき鳥クロニクル』を読んだことを思い出し、連休に春樹も悪くないな、とようやく買って読んでみた。ただ、いざ買って帰ってみると、今度は『ねじまき鳥・・・』の方を再読してみたい気持ちが突然、わき起こり、結局、両方を併読することとなった。

そうすると、当然ながら、大作『ねじまき鳥』の方が格段に面白い(後日、別途)。書かれた時期も意図も違う、作者自身の力の入れ方も違うだろう両者を比べるのは適当ではなかろうが、『ねじまき鳥』の傍らでは、この『アフターダーク』はすっかり、かすんでしまう。

実験作

本作では、深夜から明け方近くの都市の姿が、鳥の目を通して俯瞰されている。午後11時56分から午前6時52分まで(統計的・平均的な人の就寝から起床までの時間だ)のいくつかの場面が、その都度、チャンネルを替えるように、カメラが切り替わるように、いくつかのシーン(映像)が描かれてゆく。

登場人物らを描こうとする視点が、はっきりと外側に据えられているから、物語は冷たく、ドライな印象を帯びている。読者と語り手と作中人物の間には、はっきりとした距離があって、突き放されたような感覚である。物語の中に自らの身を重ねてゆく、といった感じはなく、客観的な描写が淡々と重ねられている。また、たいていの場面ではカタカナの音楽が流れていて、それが多少なりとも何らかの意味を持っているのだろうとは推測される。

ひとつのコマを深追いせずに、切り替えられる場面、シーンは、それぞれに完結するものでもない。一体、何なのか? と読者の側にはもどかしさが残る。ミステリアスで謎を残す、といえばきこえはいいが、正直、退屈なチャンネル、映像もある。家族に何かしらの問題があって、少し、心を閉ざしているような女の子と、その殻を徐々にほぐし、救おうとする男の子。──という春樹作品におなじみのパターンも、繰り返されると「やれやれ」と辟易させられもする。

「読みたい」という気持ちのわかなかったことがある意味、正解だったのかな、とも思えてくる。まあでも、作者も毎回、大作を発表し続けるわけにもゆかない。端境期、というべきか、時にはこうした、つなぎのような力の抜けた作品が必要でもあるのだろう。実験作といってもいい。たまたま併読することとなった『ねじまき鳥』と本作に限らず、作者には、作品を通してつながっているもの、時を経て再現させられるものが多い。本作の消化不良、謎に思える点も、今後に形を変えてあらわれてくるのかもしれない。

満足度:★★

「それで思うんやけどね、人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないのかな。その記憶が現実的に大事なものかどうかなんて、生命の維持にとってはべつにどうでもええことみたい。ただの燃料やねん。・・・ 大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料」

「それでね、もしそういう燃料が私になかったとしたら、もし記憶の引き出しみたいなものが自分の中になかったとしたら、私はとうの昔にぽきんと二つに折れてたと思う。どっかしみったれたところで、膝を抱えてのたれ死にしていたと思う。大事なことやらしょうもないことやら、いろんな記憶を時に応じてぼちぼちと引き出していけるから、こんな悪夢みたいな生活を続けていても、それなりに生き続けていけるんよ。もうあかん、もうこれ以上やれんと思っても、なんとかそこを乗り越えていけるんよ」


 

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