四つの終止符

西村京太郎(2003年刊 講談社文庫)

2003.11.9読了 11.9メモ

ろう者を描いた社会派ミステリー

講談社文庫

事件に巻き込まれたろう者にスポットを浴びせ、ろう者の社会的立場の厳しさを描いた社会派ミステリー。

昭和39年(1964年)発表の作品。著者にとって初めての長編小説ながら、多作で知られる著者の代表作の一つに数えられるのもうなずける。40年近くも前の、相当に古い作品であるが、かなり硬派な内容で、今なお、充分に読み応えのあるストーリーとなっている。

夏前に読んだ宮部みゆきの『火車』同様、ミステリーであると同時に、単なるフィクションで終わらない、社会への強いメッセージが込められている。色褪せない長い寿命を持っている。あとがきで著者が述べているように、社会におけるろう者の置かれている過酷な立場、偏見を訴えようとした強い気持ちがひしひしと伝わってくる。

どうしてこれほどに著者がろう者の立場の弱さに胸を痛め、ろう者を支持しようとしてくれたのだろうか? 著者がこの作品を通して訴えたかった、ろう者の置かれている差別的境遇は、作中で同情を寄せる幸子がそうであったように、著者にも身内にろう者がいたとか、そういった特別な事情でもなければ普通、こんなにも肩入れできないほどの強いモチーフとなっている。

著者にとって初めて長編小説である。意気込んで書かれたことだろう。現在、ミステリー作家の大御所として不動の地位を保っている著者のデビュー間もない頃、本書執筆の動機がどこにあったのか、こちらもミステリー同様に興味深く思える。

歴史的作品

今回読んで何より驚かされるのが、40年近くも前の当時にあって著者の真剣な態度である。

今でこそ障害者への偏見は少なくなってきているけれども、そうした社会風潮の変化もここ十数年くらいのことではないかと思う。根拠があるわけではなく、何となくではあるけれど、国際障害者年(1981年)以後、時間をかけてであるがノーマライゼーションの考え方が少しずつ社会に浸透していったのではないだろうか。この間、国や自治体の行政施策が進み、障害者に対する差別扱いの残っていた法整備がなされ、また、パラリンピックが注目されるようにもなった。

20年前、30年前にはまだそのような風潮はなかった。僕が子どもの頃の30年前、まだ障害者に対する社会の視線は冷たい、排除的なものであったように思う。それは子ども心にも伝わってきた。

これも当てずっぽうな推論であるけれど、高度経済成長期を通じて経済が右肩上がりだった、“ゆけゆけ、どんどん”的な世相の時には、障害者は「マイナス」な「劣った」ものというイメージが強かった。それが、全て右肩上がりではすまなくなったとき、ようやく日本も、プラスな存在が全てではないものと、障害者を弱者として扱うだけでない視点や関心を持てるようになったのではないか。

そうではない頃に早くから関心を持ってくれた、決してろう者を小説の題材に利用するのではなく、正面から取り組んでくれたのが著者のこの作品だといえる。障害者問題を訴えたノンフィクション、ドキュメンタリーとしてでなく、フィクションの世界でろう者を見つめる誠実な態度がうかがえる、その意味で、非常に価値の大きい作品だといえるのではないか。

つんぼという蔑称

それにしても最初から最後まで、「つんぼ」という言葉がおびただしく使われている。

もちろん、「つんぼ」や「おし」、「めくら」という言葉は差別用語、放送禁止用語として、今では通常、目にすること(耳にすること)はない。それも先に述べたように、ここ十数年の間の変化ではないかと思う。僕が子どもの頃はまだよく使われていた。

僕自身は今でこそ、この言葉に抵抗はない。「つんぼ、いいではないか」とも思う。「つんぼ羊のホームページ」でも悪くない。開き直っている。

ただ、子どもの頃や思春期の時期にはそうはいかない。「つんぼ」という言葉が差別用語なのは、それが肯定的に使われることのまずない、蔑称だからである。成長期にこの言葉を浴びせられた子どもは、心に深い傷を負う。おそらく、僕自身がそうだったように、全くの聾者はもとより、少しでも耳のきこえの悪い人間なら、誰しもこの言葉でからかわれた、バカにされたことのない人はいないだろう。子どもの世界でいじめやからかいというのはどうしたってあることなのだが、「めくら」や「ちんば」と違って、「つんぼ」は相手のきこえないことそのものを笑いの種にしている。投げかけるのにうってつけである。相手がきこえないから、きこえないのをいいことにいくらでも言える。「つんぼ、きこえるか?」って。けれども、言われた方は分かっているのである。

以下、物語の中の記述が当時の状況をよくあらわしている。

「ツンボのせいか、ひねくれたところがありましてね。」

「ああいう人間は、ひねくれているうえに、協調性に欠けているんで困るのです」

「一種の慈善事業のつもりで使ったようなものですが、」

「なにしろ、ツンボですからね、だいじな仕事は任せられません。」

「使いにくいのをがまんして、使ってたんですが、」

「もう身体障害者は、こりごりですよ」

「一種の慈善事業のつもりで雇ったんですワ」

「どうも、身体に障害のある者はいけませんな。心にまで傷ができちまっているんですよ」

これらの発言者が特別に性悪なのではなく、社会がろう者を、そうした目で見ていたのである。

終止符は消えつつあるけれど

物語は、下町のおもちゃ工場で働く聾の青年、晋一が母殺しの容疑にかけられたまま自殺する。題名の「四つの終止符」とは、母を皮切りに、晋一を含めて4人が死んでしまうことを表している。同時に、四囲を壁でふさがれた晋一の、ろう者の置かれた立場というものも表している。

今、社会の状況は40年前とは大きく変わり、「つんぼ」という言葉は使われなくなっている。ろう者への偏見も少なくなり、理解ある社会に変わってきている。ろう者の組織する団体によって、ろう運動の成果あって、ろう者自身が社会を変えてきた面も大きい。少なくとも今、四方を全てふさがれた、誰一人、自分を理解してくれない孤独な状況に置かれているといったことはないだろう。今はむしろ、ろう者の側がどう、周囲に支援を求めてゆくか、社会に積極的に交わってゆくか、関わってゆくかが求められている。

ただし、先に引用したような、こと職場面では、ろう者の雇用環境はまだなお厳しい。ろう者の働ける場が増えること、ろう者が偏見なく採用されること、配属されること、そして、ろう者自身が働きがい、生きがいを感じられる社会としてゆくにはまだ大きな壁が残っているだろう。

本書は、ミステリーとしても充分に評価できる、面白く読める内容だけに、大衆小説、娯楽小説に終わらない社会的小説の側面をもった価値ある作品として今後もずっと読み継がれるだろう。そう昔でない時期にろう者の置かれていた立場の厳しかったこと、「つんぼ」という蔑称が日常的に使われていた時代のあったことを記憶にとどめておくためにも。

満足度:★★★★★

「ことばを覚えて、かれらが人間性を獲得したとしたら、ことばを失うことで、かれらは、人間失格の運命にさらされるのです。この恐ろしさを考えてくれる人は、めったにありません。たとえば、職場のことがあります。最近では、事業主の中に、身体障害者に理解を示されて、積極的に、採用してくださるかたもあります。しかし、重大な問題が、等閑にされているのです。事業主のひとりは、こういわれました。わたしの所には、聾児に適した仕事がある。一日じゅう、しゃべらずに済む仕事だ。これなら、耳の聞こえない子には最適だと思う。また、ある事業主は、一室にこもって、ミシンを踏みつづける仕事を、持って来られました。適材適所というわけです。ことばを失ってはならない聾児たちが、ことばを失う職場につかされるのです。普通の人間にとって、数時間の沈黙は、さしたる苦痛ではないでしょう。しかし、聾児にとってはそうではありません。それは、沈黙ではなくて、ことばを失うことなのです」


 

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