今読んでいる鴎外の「山椒大夫・高瀬舟・阿部一族」(角川文庫)の一遍。
昨年末、京都へ高校駅伝観戦に出向いた際、手持ち無沙汰に読めれば、と思って駅チカのくまざわ書店にて買ったもの。京都だから(高瀬舟)というのではなく偶然の、店内は狭いスペースにもさすがの品揃えで選択肢は沢山あったが、悩ましいときほど結局自分はこういう古典に落ち着いてしまう、というのが一度ではなく、昨年夏に広島に出かけたときも「山椒大夫・高瀬舟」(新潮文庫)だった。
角川と新潮とでメインは同じながら収められた短編のひとつふたつでも違えば十分だし、ずっと昔の同じ版も何冊かあるはずだし・・の中、今回は何より装丁も良かった。手拭い、紗綾形ということで和風でクラシカルなところが作品にもぴったり。
表題作の短編は初めて知ったもので、でも賢いATOKはちゃんと変換する。
鴎外の作品は、注釈だけで数十ページある難読な、よくこんな文章が書けるなという感嘆と、まあでも比較的短編なので何とか読み通せる読み甲斐というか、で繰り返し読んで飽きない。多分、今後も。
最近は、一年に一度書けるかどうかの記事ながら、時々はメモしておきたいと思った。
玄機は才智に長けた女であった。其詩には人に優れた剪裁の工があった。温を師として詩を学ぶことになってからは、一面には典籍の渉猟に努力し、一面には字句の錘錬に苦心して、殆寝食を忘れる程であった。それと同時に詩名を求める念が漸く増長した。
其征辞は、「孔門以徳行為先、文章為末、爾既徳行無取、文章何以称焉、徒負不羈之才、罕有適時之用」(こうもんはとくこうをもつてせんとなし、ぶんしようはすえとなす、なんじすでにとくこうのとるなし、ぶんしようのなにをもつてかしようせられんや、いたずらにふきのさいをたのみて、てきじのようあることまれなり)と云うのであった。